連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第3回(2000/9/23)

700円余計に払った話

和気 愛仁
目覚ましのベルが鳴ったような気がして、目を開ける。時計の針は8時を指している。
(しまった!)
あわててふとんを抜け出す。と、腹部の上の方にかすかな痛み。そうだ、前の晩ちょっと深酒したんだっけ。寝たのは4時過ぎだったか。

自律神経失調症気味の私は、起床直後は体がまったく動かない。とりあえずトイレに入るが、直腸はまったく蠕動を開始せず、肛門周辺の筋肉も動く素振りをまったく見せない。よわったな。えびちゃん(海老原)待たせてるし、これ以上遅れるわけにもいくまい。やむなく、汚れてもいない尻を拭き、トイレを出る。

つくば市内の私の家から都内の練習場まで、車で約1時間半。まあ何とかなるだろう、そう思ったのがマチガイだった。同じつくば市内の海老原宅を経由して海老原をひろい、常磐高速に入ったあたりで腹の中程に嫌な予感を覚える。次第に言葉が少なくなる。

嫌な予感は、首都高速に入ったあたりで現実のものとなった。そして追い打ちをかけるように、渋滞。首都高速は環状駐車場と化し、車の列は流れる素振りをまったく見せない。

もはや痛みはかなり下の方まで降りてきており、そのパルスの間隔は確実に短くなっている。陣痛ってこんな感じかしらん。気を紛らそうと馬鹿なことを考える。先ほどまったく動かなかった私の直腸は、今や固形物を押し出さんと盛んに蠕動を繰り返している。何でさっきは動かないのよ。そうぼやいてもどうにもならない。自分の体ながら情けない。車よ、動け。腸よ、止まれ。

「すいません、屁こいていいですか」
なんとか腸内の容量を減らそうと、助手席の海老原に尋ねる。
「どうぞどうぞ」
声が裏返っている。
肛門周辺の筋肉を微妙な力加減でコントロールする。首都高の高架が揺れる。危険な綱渡り。
メタンガスは本来無色無臭だそうだが、不純物が多く混ざった私のメタンガスは異様な臭気を放っている。たまらず窓を開ける。するとディーゼルエンジンの排気ガスと混ざり合い、さらに強力な臭いとなって脳髄を直撃する。

「すみません、次で一回降りていいですか」
再び助手席に尋ねる。だめといわれても降りることに変わりはなかった。パルス状だった痛みは今や一本の線となり、絶え間なく下腹部をさいなみ続けている。

そこから出口までどのぐらいの時間がかかっただろうか、毎分平均1mほどのスピードで、とにかく四つ木出口にたどり着く。信号がじれったい。クラッチ操作がおぼつかない。

どこだ、どこだ。必死でその場所を探す。目の端にファミレスの看板が見えた。すかさず駐車場に飛び込み、車を降りる。努めて冷静を装いながら店の入り口まで歩いて行くと、11時開店。

ぐぐぐ。

肛門周辺の筋肉をこれ以上ないほどに堅くして、走り出す。ファミレスの隣に自動車整備工場があった。
「すみません、トイレお借りしたいんですが」
「???・・・どうぞ、そっちの奥」
そのあと何か言ったようだが耳に入らず、トイレのドアを開けて中へ飛び込む。小刻みに足踏みしながらベルトをはずし、ズボンをおろす。

そして、しゃがみ込む瞬間、それは流れ出た。
「んーーーー・・・・」

整備工のおじさんに礼を言い、海老原にわびを言い、首都高にいつもより700円余計に払って、結局練習場に着いたのは、1時間半遅れの午前10時30分だった。その日は15分ごとに中座してトイレに駆け込み、まったく練習にならなかった。

それ以来私は、遅刻よりも、トイレを優先することにしている。なぜなら、その方がまだ人に迷惑をかけることが少ないから。ほんとうは、夜更かししない深酒しない、というのが本筋なのだけれど。


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