連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第7回(2000/10/4)

松本へ・・・

和気 愛仁
行って来ました、サイトウキネン。 といってもオーケストラの方ではなく、武満メモリアルの室内楽コンサート。プログラムは、

  武満徹:ブライス(1976)
  ユン・イサン:クラリネット五重奏曲第2番(1994)
  タン・ドゥン:エレジー Snow in June
  武満徹:すべては薄明のなかで(1987)
  武満徹:ウォーター・ウェイズ(1978)

という、すべて20世紀もの。

今年の夏休みは、前半はピストンクラブのコンサートの準備、後半は自分の諸々のお仕事ですっかりつぶれてしまい、どこへも出かけることができなかった。ご主人様(嫁さん)と遠出するのも久しぶりだったし、そもそもコンサートに出かけること自体ずいぶんなかったので、この武満メモリアルは結構前から楽しみにしていたコンサートだった。

で、肝心のコンサートの模様についてはあとで触れるとして、話はコンサート前日の夜に戻る。

前日の土曜日、午後11時半。あしたは車で長旅だし、そろそろ寝ようかな、と思った矢先、携帯の呼び出し音が鳴る。大学で管理している UNIX サーバのハードディスクが死んだという連絡。ううむ。なんとすばらしいタイミング。ユーザが600人強いるサーバの、しかもユーザのホームディレクトリがあるほうのドライブが死んだとのこと。ごめんなさい、今日はちょっと、と言おうかとも思ったが、さすがに放っておくわけにもいかず、わかりました、今から行きます、と言ってしまう。

もうひとりのサーバ管理者と、バックアップのことやハードディスク交換のことについて相談し、とりあえずの応急処置を終え、帰宅したのは午前3時半。先に寝てていいよといっておいたにも関わらず嫁さんは起きており、なんだか機嫌が悪い。やばいなー。今朝の「どよー朝イチ運だめし(ポンキッキーズの1コーナー)」は確か中運。そんなに運が悪いはずはないのだが。まあいいや、とにかく寝よ、寝よ。

さて次の日。前の晩のやや険悪な雰囲気を引きずりつつ、寝不足のままいざ松本へ。中央自動車道は思ったよりも空いており、快調に車を飛ばす。が、予想通り、やはり途中で眠気がおそってきた。どうしても眠くなってしまったので、途中のサービスエリアで仮眠をとることに。

「5分寝る」といってシートを倒し、ふと気がつくと30分が経過。直射日光をさけて後部座席に移動していた嫁さんの機嫌が悪い。おそるおそる理由を聞くと、直射日光で暑かった上に、FMでやっていたモーツァルトのバイオリン協奏曲がきいきいと下手くそだったので頭にきた、という。ううむ。これはいかん。あわてて外へ出て、軽く食事。その後、嫁さんが売店をうろついている間、サービスエリアのベンチでまた少し目を閉じる。再度出発。

休憩をとったおかげで少しは楽になったものの、やはりまだぼーっとしていたようで、岡谷ジャンクションで長野方面へ分岐すべきところを名古屋方面へ直進してしまう。仕方がないので次のインターでいったん降りて、引き返す。時間にして約30分、金額にして1200円のロス。このあたりで車中の雰囲気は最悪になる。
 「どうせ夕べ出ていったのが悪いんだよ。えーえーどうせオレが悪いんですよ。」
そう言った瞬間に屁をこいてしまい、雰囲気だけでなく実際の空気までが悪くなってしまう。もうどうしようもない。

余談であるが、非常勤講師が主な収入源のウチは、夏休みになると仕事がなくなってしまい、収入が激減する。そして、その影響は、時間をおいて、8月から10月くらいになって深刻さを増す。ちょうど金のない時期に、それでもがんばっていこうと決めたコンサートだったので、たとえ1200円の無駄であっても嫁さん的には許せなかったのに違いない。

9月上旬の松本は、想像以上に涼やかであった。今年の夏は暑かったからねえ。だだっ広いつくばのような人工都市と違って、いかにも歴史のある地方都市という感じで、適度なサイズと落ち着いた雰囲気が涼しい空気と相まって非常に心地よい。

お約束の松本城に登り、一通りなかを見て回ったあと、まだ少し時間の余裕はあったが、念を入れて早めに演奏会場へ向かうことにする。このころには、険悪だった雰囲気もだいぶ和らいでいた。

ホールに隣接する喫茶室で時間をつぶす。まともにコメを食べていなかったので、ここはカレーだなと思い、ビーフカレーを注文するも、あえなくご飯切れ。仕方がないのでチーズケーキと紅茶を頼み、しばし観客となるべき人々を観察する。

客層が意外だった。もっとマニアックな感じのお兄さんがいるかと思ったのだが、そんなことは全然なくて、ごくふつうのクラシックファンですという感じのおじさまおばさまがほとんど。東京から来ているふうの人もいるにはいたが、どちらかというと地元の音楽ファンの割合が高そうな感じ。

ほどなく開場。席を確認する。ローソンの「ロッピ」で買ったわりには、中央寄りやや後方のベストポジション。トイレ(これがこれでずっと問題だったのだが、そのことに触れるととても長くなってしまうので割愛)に行って、開演を待つ。

客席を見回すと、出ました出ました、妖怪系のあの顔は。小澤征爾を筆頭に、クラリネットのカール・ライスター、フルートの工藤重典、ギターの荘村清志、ソプラノのバーバラ・ボニーなどなど、そうそうたるメンツがラフな格好で座っている。「まきさんは?」なんていう声も聞こえたから、武満真樹さんもみえていたのかもしれないが、お顔は確認することができなかった。

そんなこんなで、すっかりミーハー気分になったところで、開演。

1曲目、武満の「ブライス」。独奏的な役割のフルートを中央に、その両隣にマリンバとたくさんのパーカッション。さらに両脇に2台のハープを配置。見ただけでおもしろそうな予感。いや実際おもしろかった。チャイニーズシンバルか何か、とにかくすんだ響きの高音パーカッションが、ながーい響きの余韻の最後のところで「くうぃん?」って曲がる(実際にどうやってるんだろう。水に入れたりしてるのかな?)のが非常に印象深かった。実際、空間が曲がったように感じました。その異様に高い集中力に耐えきれず、聴衆の一人がもうすぐ終わりというところで出ていって、ドアのすぐ外でせき込んでいたのが残念でしたが、とにかくよかったです。

2曲目、ユン・イサンのクラリネット五重奏曲。ユンはドイツで活躍していたということもあり、なかなかに構築的な音楽を作る人ですが、この五重奏も、やはりそういった感じですかね。晩年のクラリネット五重奏曲(しかも第2番!)ということで、どうしてもブラームスとの関連性を思い浮かべてしまいますが、あそこまで内向的な感じはしなくて、もっとずっと前向き、というか恐ろしいほどの意志の力を感じます。ところどころアジアっぽさが入るのがユーモアに聞こえなくもないけど、実際どうなんでしょ。とにかく、死の前年に書かれたとは思えないほど力のこもった作品。名作といえるんじゃないでしょうか。あ、終楽章の最後の音だけ、拡張されたブラームスの五重奏の音(最後の和音)がしました。ちょっとびっくり。

休憩をはさんで3曲目、タン・ドゥン。独奏チェロと、いったいいくつあるのか想像もつかない数のパーカッション群が4人という編成。タイコは少なく見積もっても一人10個ぐらいは担当してたんじゃなかろうか(なかには紙を破く音とかまで使われてました)。松本のハーモニーホールはそれほど大きいホールではないですが、それでもステージをほぼ埋め尽くす大小さまざまな打楽器の数々に圧倒。こんなんでチェロ聞こえるんかいな、と思ったのですが、杞憂でしたね。もちろん、タイコの激しいリズムで脳味噌のかなり内側まで刺激される感じで、当日のプログラムのなかでは一番興奮したんですが、さらにすごかったのはチェロのローレンス・レッサー。恐ろしいまでの集中力、支配力。あれだけのタイコ(若衆4人)に周りを囲まれながら、音楽を確実につかんで全体をコントロールしてる。70歳を越えたかと思われる白髪の老人(失礼)なのに、一歩も引くところがない。カーテンコールでも、ひときわ拍手を浴びてました。

そういやクライマックスで小さいシンバル(あるいはドラのようなもの。スタンドに4つぐらい縦にぶら下がっているやつ)が、ひもが切れて吹っ飛んでしまい、ものすごい音を立てて転がってしまいました。このあとどうするんだろう、ってこちらがどきどきしてしまいましたが、なんとかごまかして?乗り切ったようです。タイコを仕切っていた一番下手側のお姉さんがかっこよくてファンになってしまった。

タン・ドゥンは、この前もN響の委嘱で劇場的な作品を書いてましたが、そのときテレビで見た印象では、たしかにすごいけど、いまいち芝居がかってるかなあ、と感じてたんですが(あのときはデュトワのへたくそな英語のナレーションのせいもあったのだろうなあ)、いやいやどうして、ライブで聴くと説得力があります。やっぱり注目されてるだけのことはありますね。すごかったっす。

4曲目。鈴木大介のギターソロで武満作品。そもそも松本に行こうって言い出したのは嫁さんで、何のことはない彼女が鈴木大介のファンだから、っていうのがきっかけだったわけですが。

前の曲があまりにもすごかったので、ひとりでひょこひょこ出てきた鈴木さんは、「このあとですか。やるんですか。すいませんね、どうも、ひとりで」みたいな感じで、見た目におもしろかった。前の曲の影響か、出だしやや不調にも聞こえましたが、だんだんと客席を引き込んで、しまいには自分のものにしてしまう、やっぱりさすがですね。宗教がかった厳しさというのはないんだけれど、なんのためらいもなく感じたことがそのまま音になって出てくる、自由で自然で素直なわかりやすさ(というのかな)という彼の美点がそのまま出ている演奏でした。

そうそう、各曲弾き始める前に、必ず、右袖をまくり、左袖をまくり、もう一度右袖をまくったあと、左斜め後方に体を倒してから弾き始めるのがおもしろかった。弾き方というか体全体の雰囲気が、NHK-FMでしゃべってるときの雰囲気そのまんまだった。

5曲目、最後も武満作品。クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、2台のハープ、2台のビブラフォンという編成。申し訳ない、あんまりよく覚えてない。前の曲まででおなかいっぱいになってしまって、もうそれ以上入らなかったのだ。響きがおもしろかった、やっぱり武満だなあ、と思ったことだけ覚えてます。

そんなわけで。どの曲も、おもしろかった、すごかったというだけで、一曲たりとも思い出して歌うことができない曲ばかりというコンサートでしたが、とにかくおもしろかったです。ライブの臨場感は何より大事だなあ、と、つくづく感じた次第。武満なんて、録音で聴いても全体の何分の一も「見えない」のだろうなあ。

泊まる余裕がなかったので、そのまま日帰り。帰りの中央高速は、混む時間帯をうまくやり過ごして、快調そのもの。やや眠かったものの、よい気分のまま無事に帰宅。

「中運」の中身は、かなりのマイナス事項とコンサートそのもののすばらしさ、差し引いた結果ちょっとプラス、ということで私の夏休みは終わったのでした。


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