連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第10回(2000/10/11)

九死に一生スペシャル

高橋 香緒里
その日は、幼稚園のいもほり大会の日であった。

いつもなら、いつまでもウダウダと寝ている私も、その日ばかりは興奮気味で、かなり早い時間に目がさめてしまい、朝食ができるころにはすっかり身支度が整ってしまっていた。

その日は平日だったので、父と姉はいつもどおり出かけて行き、母は団地の週番にあたっていたため、ごみ置き場の掃除をしに出ていった。

部屋に一人残された私は、早起きのおかげで全くやることがなかった。テレビをつけてみても、おかあさんといっしょもピンポンパンももう終わっており、小川宏ショーの時間になっている。楽しくないのですぐに消す。手持ち無沙汰で部屋の中をうろうろする。

当時私は、家の中であっても、暗いところと人のいないところが怖かった。テレビを消してしまったので、柱時計の秒針の音が妙に響く。ナチュラルハイだった気分が急にしぼむ。

「ドロボウに入られたらどうしよう」

不安になった私は、ドアをロックし、さらにチェーンまでかけてしまった。しかしすぐに、母が帰ってきたとき、家に入れないということに気づき、チェーンを外そうとしたが、外れない。微妙に手が届かないのだ。あせった私は、何度もチェーンをひっぱった。ドアを開けたり閉めたりしてみた。ハサミで切ろうとしてみた。どうやっても外れない。一人が怖い小心者の私は、パニックになり泣き叫んだ。

「神さまー。開けてー。」

私はこのときのことを今でもはっきりと覚えている。「いままで、神さまなんていないって思っててごめんなさい。開けてくれたら、これからは信じますから開けてください。」私は泣きながら、窓から声に出して何度か言った。そして、ほのかな期待を持って、ドアのところに戻った。

あたりまえだがチェーンはそのままだった。ああ、もういもほりに行けない。私はまたしても大泣きした。

「やっぱり神さまなんていないんだぁー。うそつきー。」

このとき、神様はこの言葉を聞いて、「このままではイカン」とでも思ったのだろうか、私の小さな頭の中に、すばらしい名案を授けてくれた!

窓から出ればいいんだ!

私はこのときのことを今でもはっきりと覚えている。まるで、頭の中にたちこめていた霧が一瞬にして晴れ、雲ひとつない青空が広がったようだった(誇張一切ナシ)。まさに天啓とはこういうことを言うのだろう。私は玄関から靴をひっつかんで、窓を開け、靴を地面に放り投げた。そして、窓の手すりを乗り越えて、すぐ下にあった1階の窓のひさしの上に降り立った。

そう、私の家は団地の2階だったのだ。

4歳の子供が2階の窓から飛び降りたら一体どうなるか...このすばらしい天啓を受けた私の頭の中には、オリンピックの体操選手の「決まったあー 10.0!」のような着地のイメージしかなかった。かの名作アニメ「未来少年コナン」が放映されるのはまだずっと先のことだが、私の中にある自分の姿は、まさにコナンそのものだった。

ところで私は運動が苦手だった。もしも、自分の運動神経に自信を持っていたら、私は迷わず飛び降りて、行き先は天国か地獄かわからないが、とにかく神様がいるかいないか確かめることができただろう。しかし私は一瞬、どこに着地するべきか迷った。芝生の上のほうがショックが少ないだろうが、ちょっと角度がなかったので、真下にある玉砂利エリアを狙うべきか、逆サイドの植込みエリアを狙うべきか躊躇したのだ。

と、そこへ、水道工事のトラックが通りかかり、急ブレーキをかけて止まった。車から大人が2人、血相を変えて降りてきて、こちらへ向かって走ってきた。「何やってんだ」とか「家の人はどうした」とか言っていたような気がする。私は「いもほりに行くんだからジャマしないで」とか何とか答え、それでもまだ、着地場所について迷っていた。そうこうしているうちに、騒ぎをききつけて、あれよあれよという間に野次馬が集まってきてしまった。「消防だ」「いや警察を」などの言葉が聞こえる。幼稚園児の自殺騒動?世間は一大事になっている。野次馬はみんな同じ団地のおばちゃんだ。やっとここで私は、この名案が名案でもなんでもないことに気づいた。子供心にも「世間体」という言葉が頭をよぎり、自分の置かれた立場に足がすくんで動けなくなってしまった...

...結局は、警察もレスキューも呼ぶことなく、水道工事の人が雨どいのパイプを伝って2階まで来てくれて、チェーンも開けてくれ、事無きを得た。おかげで、いもほりにも無事に参加することができた(ようである。実はこのあたりから後のことをあまり覚えていない。ばつが悪くて忘れたかったのであろう)。

母は救出劇の途中で帰宅して腰を抜かしたが、後で水道工事の会社に菓子折を持っていったり、団地中を「お騒がせしました」と挨拶して回ったりして、相当大変だったようで、おまけに「何であんなことになったのか」という問いにも、まさか「娘がおかしな天啓を受けまして」とも言えず、かといって母にも、私が説明した事の顛末が理解不能だったため、ろくな説明ができず、しばらくの間、「タカハシさんちの下の子はちょっと変わってる」という評判が立ったようである。

もし、あそこで飛び降りていたら、そして万が一、コナンのように10.0の着地を決めていたら、私はそのままオカルトに走って、トランペットなどとは無縁の生活を送っていただろう。幸い、今では私はオカルトに傾倒することもなく、少々高所恐怖症気味ながら、一人暮らしを満喫している。助けてくれた水道工事のお兄さんと、「ばつが悪い」という形で私を「こっち側の世界」に引き戻してくれた団地のおばちゃん達に感謝である。


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