連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第24回(2002/6/6)

いきなり親バカ・スペシャル 命名編

野口 洋隆
今朝、娘が生まれた。

続きを書く前にあらかじめお断りしておこう。本稿は、親バカものである。したがって一般の方々が読んでも、辟易するだけであろうことは目に見えている。関係者、その中でも、よほどの閑人、野次馬精神が著しく高じている人、そんな方々にせいぜいお読みいただく意味があろうか、と、そんなふうに考えているので、あらかじめご了承ご判断願いたい。

さて、今朝生まれた娘は、私にとって初めての子である。この瞬間より、私は「父親」という存在になったわけだが、正直云ってまだ実感はそんなには湧いているわけではない。ただ、ささいな時々にも、例えば電車を待っていて「電車がホームに入線しつつある今、誰かに押されて落ちてしまって死んでしまったら、残された妻子はどうなるのだ?」というように、何事にも慎重になっていく気分が感じられる。しかし、まだ概念的なものなのであろう。坂詰さんをはじめとする先達の話によれば、これからがたいへんなはずだ。

しかし、今日は子どもが生まれた、その日である。それを祝して、ひとりでささやかな祝杯をあげるのもまたよいではないか。

初めての娘の名前を、「愛音」と名づけた。「あいね」と読む。本稿は、娘が生まれたその日に、その名の由来を記録に留めんがため、場違いとは存じながら「日々の徒然」を借りて記すものである。

この名は、父である私が考えた。本日出産後の母(つまり奥さん)をねぎらったあと、この案を提示し、認められたものである。この名については、数ヶ月前から案として自分の中にあった。「愛音」という名は女の子用に考えておいた名前の本命であった。ただ、うちは今朝生まれるまで男か女かわからなかったため、男の子用の名の本命も考えなくてはならなかったのだが、こちらの方は最後まで自分として、これはというものが浮かんでおらず、生まれたとき「女の子です」と聞いて、「よかった」と思ったものである。

私自身の希望としては、女の子がよかった。私は、男3人の兄弟の長男として育ったため、「女の子」というものがいる家庭に昔から非常にあこがれがあった。そのため、奥さんの妊娠にあたっても、女の子の名前は早くからいろいろ思いついたのだが、男の子の名前というのを考えるのには、あまり気合いがはいらなかったという不届きなところがあった。

で、「愛音」である。

奥さんと私が知り合って結婚するきっかけとなったのは、やはり音楽であり、自分の子どもには「音」という字を入れたいと、かなり前から思っていた。「音」という字は読み方がいくつかあり「おと」「ね」「おん」「いん」等がある。このうち「ね」と読ませる名前には、例えば清水和音さんのようなものがある。「いん」としては、幸田真音さんのようなものがある。「和音」という名前は、意味的に「accord」とか「harmony」であり、美しい。ちなみに「愛音」でこれをやると「love sounds」になってしまい、恥ずかしい。「愛音」は、意味的には、「音を愛でる」という意味が最も素直な解釈となろう。

字的には「愛」という字も使いたかった。気恥ずかしい字面ではあるが、女の子ならそんなに抵抗なかろう。ピストン的には「愛」の字をその名に抱く人に、和気愛仁さんがいる。酒気帯び運転で検挙された際も、おまわりさんから「いい名前ですね」と評される名の持ち主である。うちの「愛音」の「愛」は、実は、ある意味この和気さんからいただいているのである。日頃からピストンではお世話になっているし、その知性に敬服をしているし、あのような人になってもらいたい(と云いたいところだが、それはそれで困るような気もするか)との願いを込めて、愛の字をいただいてみたのである。

当の和気さん、そしてうちの奥さんも忘れているかも知れないのだが、1997年、ブラスアンサンブルフェスティバルが愛媛の今治で開かれたとき、そこで何かの拍子で私と岡田さん(現私の奥さん)に向かって、和気さんはこういったのである。

「いっそのこと、野口さんと岡田さんで結婚したらどうですか。」

おそらく、和気さんの言葉も冗談であったのだろうし、岡田さんは即座に「ううん、しないの」と否定しており、その場はそれで終わり、すぐ次の話題へ移っていたような気がする。しかし、私のなかで、和気さんのその言葉は妙に心に引っかかり、結果数年後、岡田直子と結婚することになったのであった。ピストン的にもいろいろ思い出深い愛媛であるが、私個人的にも思い出が深いのであった。

このように愛の字は和気愛仁さんの名にもはちなんでみたのだが、愛の字を使う人は結構いる。現に私の会社の同じ課の女性にも愛ちゃんという人がいる。トロンボーンの私の同期の女性で、楽器的に尊敬している方がいるが、そのお嬢さんも愛子ちゃんだと思った。みんなに、「貴方の名前にちなみました」とか「君の名前をもらったんだよ」とか云ってれば角が立たないではないか。飲み屋でも使えるかも知れない(そういえば、昔そんなテレビ番組があったような気が・・・・愛と書いてメグミと読むというやつ。今思い出してしまった。でも、うちの娘には「音」がついてるし、ちょっと違うと云えよう。それは、以下に述べるような、ダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングとなっていることに顕れている。)。

和気さんにちなむもととなった、愛媛のブラスアンサンブルフェスティバルであるが、このフェスティバルと云えば、何と云っても、今は亡きフィリップ・ジョーンズ氏である。特別ゲストとして、来日来場いただいたのがPJ氏であった。私の奥さんは、タイコたたきであり、ブラスの人とかそんなに知らず、PJについてもそのときまで知らずにいたのだが、愛媛で実物にお会いし、一目でファンになったようだ。ちなみに、奥さんは、本人曰くのカッコイイおじいさんが好きで、日本のラッパとしては北村源三先生の大ファンである。指揮者ではフルネのファンである。ところが、朝比奈さんはそうでもないらしいし、バーチが好きとも聞いたことがないので、基準はよく分からない。

話がそれたが、そんなこんなで奥さんはPJ氏のファンになってしまった訳だが、私はブラス少年であったから、もちろんPJというのは神様なのであった。そして、私にとって、その神様の演奏というのは、初めてPJBEを聞いたディスク(LP時代)であり、今でもやっぱり好きやねん、というので「アイネ・クライネ・ブラス・ムジーク」なのである。かなりベタベタであると、我ながら思うのだが。見たとおりこれは、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」に引っかけたタイトルであり、ディスクの中で往年のテューバの名手、ジョン・フレッチャーが一人多重録音でこの曲を入れているところからも来ているのであるが、このディスクには「猫」や「ディベルティメント」という定番中の定番がはいっているのであった。実は私のピッコロトランペット初体験は、アンドレではなく、このPJBEのこのディスクの「ミスター・ジャムズ」および「ブラック・サム」なのであった。

長々書いてしまったが、PJ氏にちなませてもらって、この「アイネ」を娘の名前にいただいたのである。

私は、子どもの名前は、外国人(主に欧米人になってしまうのかも知れないが)でも発音しやすい名前がいいなあと思ってきた。私の本名「ヒロタカ」は、一発では覚えてもらえないようだ。フランス人が発音したら、(理論上)「イロタカ」とか「エロタカ」になってしまう。

「アイネ」は、ドイツ語で綴ると「eine」になる。「ein」の女性名詞に係る格変化をしたものである。まあ、ドイツ人を始めとする欧米人には発音しやすい名前なのではなかろうか、と勝手に思っている。それはもしかしたら本国ドイツでは「アイネ」という名前は、日本語に置き換えると「ひとつの」とか「ある」とか、名前っぽくない響きになるのやも知れないが、そこまでこだわることはあるまい。

で、「eine」の意味であるが、「1」という意味を含むのだろう。長女だから意味的にもちょっと引っかけてあると云えよう。英語で云えば、「a」とか「one」になるのかな? その辺は感性でやっているし、日本語の意味が主体なので、多少の齟齬には目をつむってもらおう。

それにしても、妊婦は夫とともに前の晩宴会に出ていたのに、翌朝いきなり出産してしまったというのがおそろしい。ピストンのメンバーのお祝いメールについても「ひゃあー」とか「どひゃー」とかの感嘆符が目についた。そんな中で竹内さんのお祝辞は、非常に心あたたまるもので、私もいつの日か自分の子どもからその名についての由来を聞かれたら、竹内さんのメールの内容を借用しようと心に決めたほどである。

宴会から出産にいたる、そのくだりについては、いずれ筆をあらためることがあるやも知れない。今はともかく、無事生まれてくれたことに感謝である。直子さん、おつかれさま、どうもありがとう。愛音ちゃん、これからよろしくね。

2001年9月25日  野口(親バカ)しるす。



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