連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第44回(2003/11/27)

将来の夢

高橋 香緒里
筆者の子供の頃の想い出には、「自分の意志に反して、他人の言動にふりまわされてしまう」という普遍的なテーマがある。「チビッコのど自慢」の一件などは典型的な例だが、そのほかにもこんなことがあった。

小学1年ぐらいのとき、クラス文集に「将来何になりたいか」というテーマで絵を書くことになった。幼少の頃から特になりたい職業がなかった筆者であるが、「なりたいものがない」などと表明することは、学校教育上好ましくない、ひともんちゃく起きかねない、ということはわかっていた。よって、こういうとき用に「いいお母さんになる」という当たり障りの無い答えを用意してあったので、あとはそれを絵に描くだけであった。楽勝である。

お母さんといえばお家に居る女の人、である(最近は働くお母さんは普通だが、まあ昔のことなので)。
そこで、まず、家の絵を描く。当時住んでいたのが公団の団地だったので、長方形の中に、窓をいっぱいつけて。4階建てだからちょっと大きめに。
次は女の人の絵だ。まず、頭はパーマにする。大人の女の人だからだ。当然、口紅とアクセサリーも必須だ。あこがれの職業を描くのがテーマなのだから、キレイな女の人でなくてはならない。
仕上げに「おかあさんになりたい」というキャプションをつければ出来上がり。楽勝である。

余裕しゃくしゃくで筆者は「おかあさん」の「お」を大書きした。

そこへちょうど先生が通りかかった。そしてこう言ったのである。

「これはデパートかな?」

あまりに予想外な反応だったので筆者は一瞬混乱した。
たしかに、4階建ての公団アパートにしては横に広く、縦に高くそびえ立ちすぎかもしれない。「ちっとも家に見えない」ということを心の中で認めてしまった勢いで、思わず「はい」と返事をしてしまった。

そこで先生は、もう一つ勘違いをしてくれたのである。

「じゃあ、横に居る女の人は、女社長だね?」

「お」かあさん
「お」んなしゃちょう

そっか、どっちも「お」ではじまるんだ。
それに、たしかにこの、くるくるパーマで化粧が濃く、巨大な真珠のネックレスを首に巻き付け、派手なワンピースを着て、巨大なビルの横に仁王立ちしている女は、とてもじゃないがおかあさんには見えないよなあ。
筆者は混乱した頭の中で妙に納得してしまった。そして再度「はい」と返事していたのである。

かくして、「おかあさん」になるはずだった絵は「デパートのおんなしゃちょうになりたい」となってしまった。「デパートの」の部分はあとから付け足したので位置が悪く、最初に「お」だけ大書したので、「んなしゃちょうになりたい」の部分は場所が足りずだんだん字が小さくなってしまい、まるで「ペース配分(?)に失敗した書き初め」みたいになってしまった。

腹立たしいのは、「おんなしゃちょう」をネタにしばらくからかわれて辛い思いをしたことだ。女社長になんてなりたくないのに、自分があやふやなせいで「やあい、おんなしゃちょう」などとからかわれる羽目になってしまい、「ちがいます、おかあさんです」と言えなかったことを非常に後悔したものである。

私事であるが筆者は現在就職活動中であり(この文章がWebに掲載される頃には職が決まっていることを祈る)、「転職アドバイザー」なる人から指導のようなものを受けている。ここでも若干振り回され気味である。「これがやりたいです」というのが無いので(相変わらず、なりたい職業が無いのである)、アドバイザー氏も手応えが無くて大変であろうが、文集と同じようなことにならないよう気をつけねばなるまい。

本当はこんなエッセイを書いている場合ではなく、履歴書を書かねばならないのであるが。


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