連載エッセイ「日々の徒然」

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◎特別編(2000/10/11)
『トロンボーン吹きから見たトランペット吹き』 第6章

団体生活におけるトランペット (トランペット吹きは"団長"になれるか?)

野口 洋隆
ピストンクラブには団長がいない。

この理由は「ピストンクラブについて」に記されている通りだが、ピストンクラブは一種独特の共和制を敷いており、団長という役割は不要であるから、ということになっている。

果たして本当にそうか?

筆者が考えている理由は別にある。それは次の通りである。
  • 「トランペット吹きは"団長"になれない」
全員がトランペット吹きなので、団長になれる人間がいない、というのが筆者の唱える説である。確かに世の中にはトランペット吹きが団長を務めているオケや団体がある。しかし希有の例を除いて、トランペット吹きが団長をするのは難しいと思われる。残念ながらトランペット吹きが団長をしていて、不和が伝えられる団体の噂も聞く。もちろんそんなことはない団体が存在している事実も厳然としてあることは間違いないが・・・・なお、筆者はこのような原稿を書いているが、ピストンクラブにおいては、純正なるトランペット吹きなのである(「ピストンクラブについて」で、「めでたく仲間入りをすることになったのでした」とある通りである)ので、以下の論述を進めているからといって、けっして団長になりたいなどと思っている訳ではない。

では、団長に向いている楽器は何か?

間違いなくトロンボーンである。テューバでもよい。

何故なら、これもまた「〜について」にある通り、トロンボーン吹きは「人の輪を大切にする」のであり、テューバ吹きは「やさしくひとを見守る」からである。謙譲の精神と自己犠牲の心がなければ、人の上に立つことなど出来る訳がない。
  • 「トランペット奏者は我が儘である」
我が儘なくらい図太い精神でなければトランペットは吹けないのか、はたまたトランペットを吹いているがため甘やかされて我が儘になるのか、ともかくトランペット吹きは我が儘である。そう、彼らは団体生活には甚だ不向きな人種なのだ。そんな彼らが「団体」を作り「団長」を決めるなどというのは、非常に不自然なことである。

では、トランペット吹きがいかに我が儘なのか、2〜3の例を挙げよう。
  • 「トランペット吹きは時間を守らない」
とある団体(特に名を伏す)はトランペットだけのアンサンブルであるが、練習開始の時刻は、定時より約1時間半は遅れる。団員の到着が遅れるためである。今まで誰も言及していないのだが、トランペットでも特に高い音を出す人ほど遅れる傾向がうかがわれる。決して練習場所までの距離とは比例しない。不思議ではあるが、ハイトーン・プレイヤーほどよりトランペットらしいという仮説をとると、妙に納得出来そうなところが怖い。

人の輪を大事にするトロンボーンでは、このようなことは起こらない。自分が遅れることで、ほかのメンバーに迷惑をかけてしまうと思うと、遅れるわけにはいかない。これがトロンボーン吹きの考え方である。トランペット吹きは、自分が眠いからもうちょっと寝よう、みんな勝手に練習しているだろう、と思考する。考え方の相違である。
  • 「トランペット吹きは待ち時間が我慢できない」
トランペット吹きは、時間を守らないくせに、待ち時間が出来るとこれを我慢することが出来ないのである。

Tacetという言葉をご存知だろうか? タチェットと読み、全部お休みの意味である。オケの曲とかで、トロンボーンに多く出てくる。例えばベートーベンの交響曲第5番(俗称"運命")は、交響曲に初めてトロンボーンを使った記念すべき作品だが、1〜3楽章はTacetである。つまり、第4楽章に初めて音符が出てくるのであり、それまではずっとお休みである。ブラームスの交響曲でも1番と4番は同じパターンであり、いっぱい吹いていそうなマーラーの5番でも4楽章はTacetである(こりゃ管楽器みんなTacetだったか)。

さて、このTacetの時間の過ごし方である。トロンボーンの人は、みんな真面目で、人の輪を大切にするから、ほかの人が練習しているのに自分たちだけが休んでいるのは申し訳ないと思い、せめて気持ちだけでも練習に参加しようということで、みんなスコアを読んでいる。はずである。なんて健気なことか。

トランペットにもTacetはある。だがトランペットの人がトロンボーンのように殊勝に待ち時間を過ごすことなど想像すら出来ない。Tacetの時間、彼らは楽器を椅子の上に放り出したまま、一足早く飯を食いに行くはずである。「今日の練習場は木場か・・・・。ちょっと足を延ばせば錦糸町の大連飯店へ行けるなあ。よし、いくか!」と連れだって行き、豚の耳やらビーフンやら頼み、気がついたら練習開始の時刻になっていて、「やばい!」と云いつつ練習場へあわてて戻って、間一髪出番に間に合う、というようなことをしているに違いないのである。細かいことは気にせず、目の前の享楽に素直に従う、非常に分かりやすい生き方をする人種、それがトランペット吹きなのである。

万一、トランペット吹きが団長をしている団体があって、非常に上手くいっているとしよう。その場合は、その団長がよほど出来た人間であることが考えられるが、多くの場合は以下の状況であると思われる。
  • 団員が全員しっかりして人間的に出来ている場合においてのみ、トランペット吹きが団長になってもよい。

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