連載エッセイ「日々の徒然」

[エッセイ目次] [←前へ] [次へ→] [トップへ]

◎第34回(2002/10/23)

3杯のそば

野口 洋隆
そば本は、ラーメンほどでないが、何冊か出ている。テレビでも、そば食い特集をすることがある。そばを食うために、遠く山形とかまで車を走らせ、山あいの藁葺きの民家のような「穴場」へ行って、出てくる手打ちの田舎そばを、最初は汁をつけずにそば自体の味を確かめ、しかる後一気にすすり込み、種物なんかなくても十分満足、でも山菜の天ぷらなんかが出てくるのもまた愉し、というやつである。

はたまた、そば本でないにしろ、そば好きの作家なぞが、エッセーに「客足の少なくなった午後の頃合いを見はからってそば屋にはいり、まずは板わさか焼き海苔で冷や酒を1合、次いで"ぬき"を頼んでもう1合、最後に"もり"で締める」とか書いていたりする。特に時代物を書く作家に多い。

しかし本稿で述べるのは、主に立ち食いそば、もしくはそれに近いものである。世の中にはいろいろなマニアがいて、「立ち食いそば本」というのも存在する。私も1冊持っている。

ところで、私は長野県生まれである。一般にはそば処と云われている。しかし、私は自分の田舎の名店とか、ぜんぜん知らない。こんなんでいいのだろうか、と思うくらいである。



【1】下北沢駅2F立ち食いそば屋 住所:東京都世田谷区北沢

下北沢駅は、小田急線と井の頭線が交差する駅である。自由が丘、代官山などとならび若者のスポットとして名高い。この駅には1軒立ち食いそば屋があり、2Fの改札口の隣りに位置している。

私は18歳のとき、長野の田舎から上京し、初めて東京で一人暮らしをするようになった。一人暮らしといっても、入学した予備校の寮の暮らしであったが、親元を離れて暮らし始めたのはこのときである。初めて住んだ東京の町、それが下北沢(シモキタ)であった。予備校の寮がそこにあったのである。

初めてここに行ったとき、私は長野の田舎者であり、シモキタがそんなに有名でトレンディな町とは知らずに行った。下北沢は世田谷区であるが、当時の私は、まだ、「世田谷」と「板橋」とにどのようなニュアンスの差があるか、まったく知らずにいた。

後年、「シモキタに住んでたことあるよ」と云うと、「わぁ、いいねえ」と云われることもたびたびあるようになったが、当時はその「ありがたみ」を認識せずにいたのであった。

幸い予備校には1年通うことで大学に入学出来たので、シモキタに住んでいたのも1年だけであったが、この浪人時代の1年は受験勉強に明け暮れたので、シモキタの文化なども最低限しか享受をしなかった。本多劇場があるなどしたため、シモキタが一種若者文化の集積地になっていて、おしゃれな店とかも多くあったりしたのだろうが、このようなところには足も踏み入れることはなかった。シモキタ時代、私が立ち寄ったのは、ピーコック、忠実屋(以上スーパー)、白百合書店、北沢書店、第一書房(以上本屋)、DORAMA(古本屋)、一休、火の国、王将(以上ラーメン屋)、どんどん、松屋(以上丼屋)、アンジュラス(パン屋)、ゼンモール(服屋)くらいであったろう。

おっと、こう書くとシモキタというのは、やはりそれなりのスポットなのだと感じられる。上に挙げた店についても、白百合書店は、SF作家の豊田有恒氏の著作のなかで「S書店」として触れられているし、一休、火の国は、私の持ってるラーメン本の中にも登場しているし、パン屋のアンジュラスは、下北沢の有名店として、メディアへの登場回数も多い。

最近シモキタに行くこともないので、どうなっているか知らないのだが、駅の北口を出てピーコックに行く間にある、あの戦後の闇市がそのまま残ったといわれるバラック街は、まだあるのだろうか? 機会がなくて行ったことはないのだが、オデオン座というのは何をやっていたのだろう? 広島風お好み焼きの有名な店があるらしいが、あれのことか? 「蜂屋」というラーメン1杯80円(昭和60年当時)という店は、噂に名高かったが、まだあるのだろうか? 15年も昔のことになると、さすがにいろいろ郷愁を誘うものである。

下北沢という街は、これらのスポットが駅を中心に半径300メートル(徒歩3分)くらいにまとまって存在しており、そこを一歩踏み出してしまうと、もう閑静な住宅街が延々と続くというところであった。

高校時代までは、電車通学をする環境でもなく、町中に富士そばがある環境でもなく、立ち食いそばとは無縁の生活を送っていた。立ち食いそばは、都会の産物なのである。したがって、私と立ち食いそばとのつながりは、私が東京に出てきたときから始まったのであり、その最初が、下北沢駅の立ち食いそば屋であった。

さて、私がここで初めて食べて、その後愛好するようになったものがある。それは「冷やしたぬきそば」である。

年中これを揃えているところは少なかろうが、夏には必ずやっていると云えよう。それまでこのような「冷やしたぬき」というものは食べたことがなかったのである。あまりに当たり前で、昔からあるものなのかも知れないが、少なくとも私は、東京へ来るまでこのようなものを食べたことはなかった。

ここで云う「冷やしたぬき」とは、次のようなものである。

(1)麺は冷水にさらして冷やしてある。
(2)浅めの丼もしくは深めの皿に載せられ、麺の下がすこし触るくらい汁が張ってある。
(3)トッピングは、天粕はもちろんだが、細切りにしたキュウリも欠かせない。
(4)ワサビがついている。

こう見ると、「冷やしたぬき」は、「冷やし中華」とよく似ているではないか。ラーメンをそのまま冷たくしたものを「冷やし中華」とは呼ばないように(最近は「冷やしラーメン」というものがあるが..)、たぬきそばをそのまま冷やしたものが「冷やしたぬき」なわけではない。冷やし中華の、麺をそばに代え、中華風味付けを和風出汁に代え、トッピングを天粕ほかに代え(キュウリはそのまま)、カラシをワサビに代えると、冷やしたぬきそばの出来上がりである。この両者、どちらが先に考え出されたのだろうか?

ともかく、私はそれまで、丼にはいった温かいそばか、ザルの上に載せられ汁をつけて食べる冷たいそばしか知らなかったのであり、一皿で麺と具を一緒にかき込める冷たいそばの食い方は初めての経験であった。

そして、立ち食いそばの「使い方」を覚えたのも、この店においてであった。後述もするが、立ち食いそばというのは、日本が誇るべきファーストフードの在り方だと思う。腹が減ったとき、時間がないとき、パッとはいってズッと食う。特に夏の暑いときなどは、「冷やしたぬきそば」は、バーーッと一気に食える、非常に便利な食べ物なのであった。食感的にも、天粕のサクサク感とキュウリのしゃりしゃり感が、何とも心地よい。

私と立ち食いそば屋との関係は、こうして下北沢駅の店から始まったのである。

ちなみにこの前井の頭線に乗ったら、私のいた予備校(仮称:可愛塾)の寮(仮称:軽髪寮)は、もうなくなっていた。



【2】松戸駅JRホーム立ち食いそば屋 住所:千葉県松戸市松戸

うどん編に登場したのは、松戸駅の1Fの店であるが、回数的に多く食ったのは、同駅のJRホームの階段下の立ち食いそば屋である。階段の下の三角に空いたスペースを利用し、ホームでそのまま丼をもってそばを食う、立ち食いそばの王道である。

大学3年のときから5年のときまで、私は松戸に住んでおり、松戸駅を利用していたので、いきおいこの立ち食いそばを食うことが多かった。

立ち食いそば屋において、私がもっとも頻繁に頼むのが「天玉そば」である。何となく栄養満点で、腹に溜まりそうな感じがするではないか。学生時代は、ここで天玉そばを食って、あと不足する野菜分を補給するため自販機でトマトジュースを買って飲んだものである。

しかし、この天玉そば、とくに天ぷら(かき揚げ)が及第点に達する立ち食いそば屋も少ないのである。よくあるのが、妙に真円に近く、まるでプレスから押し出されたようなかき揚げで、これはもういけない。食っても非常にパサパサして、汁に漬け込んでも、容易にほぐれてはこない。

その点、松戸駅JRホームの立ち食いそば屋の天ぷらは良かった。立ち食いそばであり、狭いスペースで揚げたてなどというわけにいかないのは承知しているが、いかにもパサパサした真ん丸のかき揚げが多いなかで、ここのは「そんなべらぼーに旨い訳ではないが、悪くはない」といったものであった。そば汁は濃い目。そばの麺も普通の立ち食いならこんなものだろう、といったもの。

しかし、ここのはバランスがとても取れているのであった。汁、麺、具のどれもが取り立てて旨いということはなく可もなく不可もないフツーのものなのだが、そのまとまりにおいて、非常にフツーの味を現出するのである。そして、そのフツーさについて、どこが飛び出るとか、どこが欠けるとかないため、全体としてひとつにまとまった味として認識される。駅の階段の下のホームの立ち食いそばであっても、丁寧な仕事をし、そのまとまりに気を遣えば、「悪くない」ものが出来るのであった。

さて、立ち食いそばについてであるが、私はこれを日本が誇るファーストフードであると思っている。ファーストフードという言葉は、マクドナルドとケンタッキーとともに日本に根付いたのかも知れないが、それらが来る前に、時間がない忙しい人たちのために、気軽に、廉価で、パッと食える立ち食いそば屋が各駅にあったのである。駅の階段の下や、ホームの一角の僅かなスペースでそばを供する、そんな立ち食いそば屋が、私の考える立ち食いそば屋の正統派である。もしくは、駅構内やガード下のほんの一角、立ち食いそば屋はこういうところになければならない。マックなどがそこかしこにあるのは、それはそれで便利なものであるが、それでも最近駅の立ち食いそばが少なくなっているのには一抹の淋しさを覚える。その分ハンバーガー屋とかコーヒー屋が増えているのだから、仕方がないのであるが、例えば上野駅で、コンコースの真ん中にあって繁盛していた「更級」がなくなってしまったのには呆気にとられた。上野駅は、ホームに良い立ち食いそばがなく、唯一「更級」だけが、品揃えも豊富で、よく使っていたのだが、あれがなくなってしまうとはなあ。確かに最近上野駅はきれいに整備されて、駅構内でも本屋を始めいろいろ買い物も楽しめるようになっていたが、その引き替えに「更級」がなくなってしまっては、私としては痛いのであった。これで、上野駅で立ち食いそばを食おうと思ったら、改札を出て、不忍口大ガード下の「つるや」か、浅草口の「富士そば」へ行かなくてはならなくなってしまった。幸い、この2店はレベルが高く、深夜まで営業している店である。

池波正太郎によると、戦後焼け野原となった東京の町で、最初に外食が出来るようになったのは、そばであったとのことである。氏は、そばが外食出来るようになったのを見て、復興を確信し、感動したそうである。

このように、そばが何時でも何処でも食べられると云うのは、日本の平和と豊かさの象徴とも云える。

私にとってのそれが何かというと、非常にフツーであり、実はそれこそが非凡である、松戸駅JRホームの立ち食いそば屋であるとも云えるのであった。



【3】布袋家 東京都千代田区丸の内

本3部作の最後に来て、ようやくそれらしい住所と屋号が登場したと思われる方もおられよう。布袋家は、立ち食いのそば屋ではないし、その住所は誰もが知る東京のビジネス街である。しかし、期待してはいけない。

私の勤める会社のオフィスは丸の内のビルの一角にあるのだが、社員食堂などがあるわけではないため、昼食は外へ出て、周囲のビルの中の飲食街に行く。布袋家もそのようなビルの地下の飲食街にある1軒である。

ところで、丸の内界隈では12時になると、サラリーマンやOLが(この表現が男女雇用機会均等法ほかの精神に反することは承知しているつもりだが、ほかにいい言葉がなかった)一斉に飲食街に繰り出し、人気のある店にはすぐに行列が出来る。行列が出来るのは、この瞬間に飲食店の需要と供給のバランスが一気に需要大の方へ傾くからである。1時を過ぎると、嘘のように人が退き、どの店もポツンポツンと人がいる、と云う位の状態になる。その後それらの店の営業が再び活気を帯びるのは、6時過ぎからの夜の部であり、それも10時ころにはビルのシャッターを閉めてしまうから、人気店でも夜は実働4時間平均1.5回転くらいしか出来ない。この結果、丸の内界隈の昼食は、ハイプライスとなる。1食当たり1,000円が相場である。不思議なことに、定食も、天丼も、握り鮨も、ラーメンも、だいたい1,000円なのである。1週間で5,000円。高いのである。

なお、仕事的に昼食をする場合(接待とも云う)は、鰻とかシャブシャブとか高い鮨とか、メニューは限られるが、1食3,000円位が平均値であろう。

「布袋家」の話に戻るが、私の会社の周りのそば屋としては、この「布袋家」のほかに、TとかOとか、立ち食いのUとかがあり、会社の人たちの一般的評価としては、「布袋家」が一番下位に位置する。その理由も分かるような気がする。Uは置いておいても、「布袋家」はT、Oに比べ値段も低めであるし、給仕も日本語が片言の人も使って人件費を節約していることが窺われ、しょっちゅうそばを頼んでもうどんが出てくるし、ときどき釜が壊れて30分ばかり待たされ店内に殺伐とした空気が充満することがあったりするのである。

しかし社内を観察していると、「布袋家」にはリピーターが多いのである。普通は、「今日は何を食おう」と悩み、だいたい1週間で1ローテするくらいの種類の店へ行くものであるが、布袋家に関しては、毎日行っている人も見受けられる。これは、平均1,000円の丸の内界隈にあって、若干安目ということも理由に挙げられ、メニューの種類は60種類くらいあることもあるのだろう。ただしメニューについて云えば、確かに60種類くらい書いてあるのだが、どの客も変わったものを頼むことはほとんどなく、せいぜい10種類くらいのものが出ているに過ぎないと観察される。

さて、私が「布袋家」に行くのは、たまにであるが、ときどき毎日のように通うという時期もある。いろいろ変動があるのであるが、「今日はぜひ布袋家に行かなくては!」というときがある。

それは、二日酔いのときである。

二日酔いの日、私は「布袋家」の「カレー南蛮」を食べる。

二日酔いの日、私はヨレヨレと会社に行き、普段はコーヒーにするところをグレープフルーツジュースを飲み、机の抽出に常備している太田胃散を服用し、朝の集会で「使いものにならない宣言」をし、何度かトイレと自席の間を往復したあと、昼休みになり、「布袋家」へ行ってカレー南蛮に七味唐辛子をたっぷり振りかけて、胃の腑に血行を強制集中し、汗をダラダラ流して、やっと人間に戻るのである。

高級なそば屋では「カレー南蛮」なんてゲテ物、という雰囲気もあり、これがメニューに載っていない店も多いと聞く。逆に、なればこそ、神田の「まつや」という名店がこれを供しており、評価されてもいる(ちなみに私は、「まつや」も「藪そば」も「砂場」も行ったことはない)。

会社の周囲の店でも、例えばOなどはカレー南蛮をやっており、焼肉屋で使うような紙のエプロンとともに出したりし、それなりに旨いものであり、上品さを醸し出してもいるのだが、私は「布袋家」の"下世話な"カレー南蛮の方を好む。カレーは、具の玉ネギとか半分溶けかけてドロドロしている方が好きだし、そば屋の出汁で割ったドロドロカレーが麺とニッチャリと絡んだのを食うのが好きである。Oの紙エプロンは、ネクタイやシャツを汚さないための店の親切であるが、ことカレー南蛮を食べるようなときは、多少はねるのも気にしないで食う方が、その旨さを満喫できると思う。

このカレー南蛮であるが、肉うどんと同様、立ち食いそば屋ではなかなか旨いものにお目にかかれない。かけそばの上にレトルトからそのまま出したようなカレー、しかもそれがちょっと本格っぽくブラウンの色をしているようなのだと、まあ旨くない。やはりそば屋のカレーは、黄色くなくてはいけない。そして、カレーと出汁とを合わせてひと煮立ちさせてあるようなのが、味がひとつにまとまって、「カレー南蛮」という独立したメニューになるのだと思う。

「布袋家」は、会社では決して旨いと評価されていない店であるが、私は秘かに好きなのである。私自身は、そんなに不味いわけではないと思っている。「天南蛮」のかき揚げも悪くはない。「蠣南蛮」の蠣の数は結構なものである。「カツ丼」や「親子丼」も、食える味である。何より「玉子丼」という安メニューを用意しているのがいい。

サービスの手際が悪くても、トラブルが発生して30分待たされることがあっても、あのカレー南蛮がある限り、私は「布袋家」に通い続けるであろう。

(後日談)
その後、「布袋家」は2002年3月末をもって店をたたんでしまった。噂によるとオーナーの親父さんがもう引退したかったということらしい。東京駅の真ん前には新たに高層ビルとなった丸ビルが竣工しようとしている今日この頃だが、秘かにビルの地下街とかは空き家が増えているような気がする。「布袋家」がなくなってから3ヶ月経つが、まだ空いたままだ。盛況なのは、スタバとサラダバッグくらいだ。私は保守的なのでどちらも買ったことはない。「布袋家」のカレー南蛮を失った今日の私は、飲みに行くこともめっきり減っている。日本経済はまだまだ厳しいのである。


[エッセイ目次] [←前へ] [次へ→] [トップへ]