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本が厚くなる理由1/2野口 洋隆
● 最近の本は厚くないか?「厚い」ことでも有名な京極堂シリーズ(注1)。筆者が読み始めたのはすでに4冊ばかり出ていたから、デビューから数年たった頃だ。 本稿は京極堂の感想を書くのが本意なのではないが、一言だけ触れておくと、筆者はこれを肯定的に受け止めた。やられた〜という感じ。久々に面白い本を読んだ。 で、デビューから手に取るまでの数年、書店の新書ノベルズのコーナーには京極堂の分厚い固まりがたくさん平積みされていた。うわぁ、こんな厚いのが売れてるのかぁ....これが第一印象である。 どうやって文庫にするんだろ? これも最初に思った疑問である(注2)。 筆者は基本的に文庫に落ちるまで本を買わない、というか、文庫落ちするまで待つ派である。新書版は多少買わないこともないが、新刊本を買うのは、よほど入れ込んだ場合だけである(はずれることも間々ある)。京極堂の場合は、どうやって文庫に落ちるのか想像できなかったため(上下2巻かなぁ、それなら新書版1冊と値段変わんないよなぁ、などと思っていたのだろう)、『ウブメの夏』を購入したのである。(変換出ない、ウブメ) しかし、厚いのお。 池波さん(注3)のように改行しまくり、というわけでなく、むしろ漢字を多用して紙面を活字でいっぱいにしている。 最初は、その時代設定と、漢字遣いと、キャラクター設定にとまどったが、慣れると作品世界にはいり込んでいける。むしろ膨大なページ数を一気に読んでいける、といった感じである。 それにしても、最近の小説は長いのが多くないか。 昔なら削ぎ落とされたであろう饒舌をそのまま文章にして、印刷している気がする。 黒死館やドグラ・マグラ(注4)より京極堂の方が長くなっているのでは? ● 間違いなくワープロのおかげである。 ここで言うワープロには、むろんアプリケーションとしてのワープロも含む。 多分、手書きで原稿用紙のマスを埋めるという作家は、こんなに長くなることはないと思われる。 筆者自身、現在ではワープロで文章を書くことに慣れ切ってしまった。その結果、文章が長くなる傾向にある。この文章も然りである。どうでもいいことをうだうだ書き連ね、話が紆余曲折する。 京極堂シリーズも、今から思えばウブメは、まだコンパクトにまとまっていた。作を追うごとに長くなっていく。 同じようにどんどん長くなっていくポピュラーな作品がある。 ハリー・ポッターである。 初作の石は300頁強であった。それが最新作のゴブレットに至っては、800頁近くになってしまった(注5)。 ハリーポッターの作品世界では、1巻につき1学年というのが毎作守られているにもかかわらず、それに要する記述はどんどん増えているのであった。 確かめれば確かめられるのかも知れないが、作者のローリング女史はPCで書いているのであろう。 欧米にはタイプライターの文化が昔からあったから、キーボードで物を書くというのはPC普及以前からある、とも思われる。しかし、筆者は高校生のときタイプライターの使い方を習得し、遊びで使っていたが、この経験からすると、PCで書いたり消したり、切ったり貼ったりするやり方は、タイプライターでは出来ない。キーボードも重たい。PCのキーボードが車のパワステだとすれば、タイプライターはパワステ非装着車のようなものだ。もちろんキーボードを打ちながら文章を考えることもできようが、タイプライターは、まだ「清書用」の道具である(ワープロも当初はそうであったのだろう。筆者の会社でもそのように考えている上司はたくさんいた。曰く、「○○ちゃん、これ打っておいて」。さすがに最近はこのような発言を露骨にする人は少なくなったが。そもそも安全衛生の面から見たVDT作業についての解説で、− これはディスプレイを見ながらキーボード入力をする作業のときは画面は何センチ離しましょう、とかの話 − 「原稿の位置」という項目があるくらいだから、もともとは原稿は別にある、というものであったのは仕方がないだろうが)。 しかし、ワープロで作った文章は密度が薄くなるような気がする。 いや、京極堂シリーズの密度が薄い、というわけではないのだが、同じだけのコトを書こうとした場合、手書きで書いた方がコンパクトに表現できるような気がする、というわけだ。 多分、筒井さん(注6)は手書きで原稿用紙の升目を埋めているのではなかろうか。いや、インターネット小説とかもいち早く手掛けた人だから、最近はキーボードか。両方遣ってるのかも知れない。 筒井さんの小説の密度はスゴいけど、ページ数は普通という印象があることから言っているのだが。でも、よく考えたら最近のは読んでないから何とも言えないよなぁ、やっぱり。 筆者について考えてみると、手書きよりも、キーボードの方が物理的に速く文章が書ける。それでも思考のスピードにはついてこない気がする。 文字を打ち変換している間に、何かが頭のなかにひらめき、言語化する前に消えていく。こともある。 手書きでは、身体的に手が痛くなってきたり、疲れてきたりするので、書く文字数は少なくすませようというバイアスが働く。加えて、肉筆だと微妙な文字の大きさだとか、勢いだとか、間だとかを表現できるため、ワープロであれば句読点の位置、漢字・記号の選び方、改行の仕方を駆使して表現するニュアンスを簡単に表現できる場合もある。 筆者の文章を考えてみると、文がだらだらと続くことが多い。 PCの画面上でテキストをだらだらと並べるのは、非常に読みにくいものだ。 人様にメールを出したり、BBSに書き込むときは、なるべく改行し、ひとつの文章を短くすることを心懸けているが、どうしてもダメなのである。この文章ですら、短く著せないのである。多分、こう書けばよいのだろう。 > メールやカキコは1行10cm以内ね > 以上 ここまでは、ワープロが本の長さ(ひいては文章の長さなのだが)に及ぼす影響について考えてみた。 後半は、本が厚くなるもうひとつの理由について考えてみる。 ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ (注1)京極夏彦著の京極堂の一連の作品。 作中でいわば探偵役を引き受ける中禅寺秋彦は、古書店主であるが同時に陰陽師である。彼が店主をやっている古書店の屋号が京極堂であり、作中でも彼を「京極」と呼ぶキャラがいる。 (注2)現在、京極堂シリーズの文庫化は始まっている(講談社文庫)。 (注3)池波正太郎。 時代小説作家。代表作に、鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人藤枝梅安ほか多数。 1990年没ながら、書店でのスペースはまだまだ健在。 ちなみに筆者にとってのベストは『獅子』(中公文庫収録)。つい、さん付けしてしまった。 (注4)黒死館:小栗虫太郎著『黒死館殺人事件』 ドグラ・マグラ:夢野久作著『ドグラ・マグラ』 両作とも日本探偵小説十傑を挙げるとすれば、必ずはいるのではあるまいか? 実は、黒死館は未読である。過去一度トライして(中学or高校)挫折している。オケをやっていながら、マラ9を聞いたことがない、というくらいの感じか。いつも、読もう読もうと思いながら10年以上経過している。 ドグラ・マグラは、筆者的には人生で読んだ小説(not only ミステリー)のなかでもベストにはいる。会社の同期に同意見の者がいて盛り上がったことがある(思えば、ポール・オースターもマイケル・ナイマンも彼から教えてもらった)。 (注5)J.D.ローリング著ハリー・ポッターの一連のシリーズ 第1作が『ハリー・ポッターと賢者の石』、最新作の第4作が『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』 筆者はUKのペーパーバック版で読んだ。翻訳は静山社が出しており、大作の第4作では、上下2巻バラ売り不可・書店買取制と絶頂期の岩波を思わせる販売で話題をさらっている。 (注6)筒井康隆。 日本で最も想像力豊かで有り余る筆力を誇りながら、表現に意識的な作家だと思われる。さすがに最近は大家として扱われているようだ。クラリネット吹きでもある。芝居をするのも好きなようだ。 筆者は、断筆宣言後は、あまり読んでないなぁ。というか、気合いが充実したときでないと筒井さん読めないのであった。 逸品だらけの作家だと思うが、筆者的には、『家族八景』(七瀬三部作の第1作〜新潮文庫収録)を中学のころ読んだときの衝撃が忘れられない。 |
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