[エッセイ目次] [←前へ] [次へ→] | [トップへ] |
700円余計に払った話和気 愛仁
目覚ましのベルが鳴ったような気がして、目を開ける。時計の針は8時を指している。(しまった!) あわててふとんを抜け出す。と、腹部の上の方にかすかな痛み。そうだ、前の晩ちょっと深酒したんだっけ。寝たのは4時過ぎだったか。 自律神経失調症気味の私は、起床直後は体がまったく動かない。とりあえずトイレに入るが、直腸はまったく蠕動を開始せず、肛門周辺の筋肉も動く素振りをまったく見せない。よわったな。えびちゃん(海老原)待たせてるし、これ以上遅れるわけにもいくまい。やむなく、汚れてもいない尻を拭き、トイレを出る。 つくば市内の私の家から都内の練習場まで、車で約1時間半。まあ何とかなるだろう、そう思ったのがマチガイだった。同じつくば市内の海老原宅を経由して海老原をひろい、常磐高速に入ったあたりで腹の中程に嫌な予感を覚える。次第に言葉が少なくなる。 嫌な予感は、首都高速に入ったあたりで現実のものとなった。そして追い打ちをかけるように、渋滞。首都高速は環状駐車場と化し、車の列は流れる素振りをまったく見せない。 もはや痛みはかなり下の方まで降りてきており、そのパルスの間隔は確実に短くなっている。陣痛ってこんな感じかしらん。気を紛らそうと馬鹿なことを考える。先ほどまったく動かなかった私の直腸は、今や固形物を押し出さんと盛んに蠕動を繰り返している。何でさっきは動かないのよ。そうぼやいてもどうにもならない。自分の体ながら情けない。車よ、動け。腸よ、止まれ。 「すいません、屁こいていいですか」 なんとか腸内の容量を減らそうと、助手席の海老原に尋ねる。 「どうぞどうぞ」 声が裏返っている。 肛門周辺の筋肉を微妙な力加減でコントロールする。首都高の高架が揺れる。危険な綱渡り。 メタンガスは本来無色無臭だそうだが、不純物が多く混ざった私のメタンガスは異様な臭気を放っている。たまらず窓を開ける。するとディーゼルエンジンの排気ガスと混ざり合い、さらに強力な臭いとなって脳髄を直撃する。 「すみません、次で一回降りていいですか」 再び助手席に尋ねる。だめといわれても降りることに変わりはなかった。パルス状だった痛みは今や一本の線となり、絶え間なく下腹部をさいなみ続けている。 そこから出口までどのぐらいの時間がかかっただろうか、毎分平均1mほどのスピードで、とにかく四つ木出口にたどり着く。信号がじれったい。クラッチ操作がおぼつかない。 どこだ、どこだ。必死でその場所を探す。目の端にファミレスの看板が見えた。すかさず駐車場に飛び込み、車を降りる。努めて冷静を装いながら店の入り口まで歩いて行くと、11時開店。 ぐぐぐ。 肛門周辺の筋肉をこれ以上ないほどに堅くして、走り出す。ファミレスの隣に自動車整備工場があった。 「すみません、トイレお借りしたいんですが」 「???・・・どうぞ、そっちの奥」 そのあと何か言ったようだが耳に入らず、トイレのドアを開けて中へ飛び込む。小刻みに足踏みしながらベルトをはずし、ズボンをおろす。 そして、しゃがみ込む瞬間、それは流れ出た。 「んーーーー・・・・」 整備工のおじさんに礼を言い、海老原にわびを言い、首都高にいつもより700円余計に払って、結局練習場に着いたのは、1時間半遅れの午前10時30分だった。その日は15分ごとに中座してトイレに駆け込み、まったく練習にならなかった。 それ以来私は、遅刻よりも、トイレを優先することにしている。なぜなら、その方がまだ人に迷惑をかけることが少ないから。ほんとうは、夜更かししない深酒しない、というのが本筋なのだけれど。 |
[エッセイ目次] [←前へ] [次へ→] | [トップへ] |