連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第13回(2000/11/6)

初代礼服物語

野口 洋隆
1.奏楽堂パンツ一丁待機


気がついたら、夜行列車のデッキで座り込んでゆられていた。急行「八甲田」...今はなき列車である。

「おおう、酔っぱらいだぜ。飲み過ぎた...」

その夜、オレはバスラッパを抱えて翌日のピストンの本番に出るために、「八甲田」に乗り込んでいた。八戸の会社で、はずせない飲み会があり、一次会でしこたま酒を飲まされ、ヘロヘロで深夜急行に乗り込んだのだった。駅へ直行するため、飲み会の店に楽器を持っていったのが運の尽き。

「それは何だ?」
「はい。バストランペットという楽器です」
「ちょっと見せてみろ...こうやって吹くのか?...ぷひゅーー...なかなか難しいな」
「ええ、まあ」
「お前吹けるんだろ、吹いてみろ」
「はい。 ♪パラパラ」
「おお、すごいな。ちょっと何か曲やってくれよ」

酒(日本酒)を飲みつつ、楽器を吹きつつしていたら、ギリギリの時間になってしまった。急いで失礼をして、親切な先輩にタクシーチケットを恵んでもらい、八戸駅へ向かう。

「八甲田」は混んでいた。オレは指定席を取っておくことはほとんどしないので、当然のことながら座れない。デッキの空いているところを見つけ、しゃがみこんだ。酔いがまわっていい気分になっているため、明日の演奏会の成功を夢見つつ、すぐに眠り込んだようだ。

朦朧とした意識が段々戻ってきた。時計を見る。まだ3時か...また寝なくては...

と思っていたときに気がついた。

「ありゃ、礼服がない!」

辺りを見回す。前後の2〜3両を歩いてみるが、ない。

「どっかへ行っちまった...」

演奏会開始まで、あと12時間もあるとは云え、当然引き返すことは出来ない。まあ何とかなるだろうと思って、再び、寝た。

その年の演奏会は奏楽堂であった。上野公園内にある、重要文化財指定の古式ゆかしい建物である。集合は9時だったが、「八甲田」は6時に上野駅に着く。山手線を2周して奏楽堂へ向かう。ピストンの面々がボチボチ集まってくる。

礼服がなくなったことを告げ、対策を練った。幸いコンサートの第2部はカジュアルな服に着替えることになっており、それはリュックに背負っていたため持っていた。第1部のオレの乗り番は最後の1曲だけである。その時だけ、誰かから礼服を借りればよい。

しかし、オレはでかい。こんなオレでも着れそうな礼服を持っているのは、当時団長の高木くんだけであった。ラッキーなことに、高木くんは第1部最後の曲は降り番である。これで何とかなる! よかった。

最後の曲の前の曲に、高木くんは乗り番だった。奏楽堂の楽屋というのは、舞台の裏から階段を降りてぐるっとまわったところにある。そんな移動時間は取れない。オレは楽屋で白ワイシャツにはいてきたジーンズをはいて、黒靴・黒靴下も忘れずにチェックし、楽器と楽譜を持って舞台袖へ向かった。

前の曲が終わりに近づいた頃、オレはおもむろにジーンズを脱ぎ、下半身はパンツと黒靴下に黒靴という格好で曲が終わるのを待った。おっと、忘れてはいけない。黒蝶ネクタイも降り番の者から借りて着けていた。

曲が終わった。

キツイ曲で、舞台袖へ出てきた高木くんもグッタリとしていた。おそらく、オレに服を貸すということを忘れていたに違いない。そこへオレが「早く早く」と服を脱がそうと両襟へ手をかけたものだから、高木くんは、パンツ一丁のオレが何か変わった趣味でももっているのかと勘違いしたようだ。一瞬吃驚した表情を浮かべ、「ちょっと待った」と云ったが、思い出したらしい。

高木くんはせっせとズボンを脱ぎ、オレは高木くんが脱いだズボンと上着をせっせと着た。

ううむ、袖と足がちょいと短い。まあ、仕方がないわ。

こうして、何とか第1部が終わった。

そして、これがオレのバスラッパ・デビューであった。

由緒正しい奏楽堂で、失礼なことをしてしまった。以後ピストンクラブと奏楽堂の縁はなくなったのである。

後日。

礼服は八戸の飲み屋から駅に向かうタクシーに忘れていたことが判明した。タクシー会社の事務所まで取りにいって、無事返却を受けた。





2.終焉の時


後日。

とあるブラスアンサンブルの営業で、ある施設にいった。中庭のようなところにステージを設け、お客さんとの距離が大変近いセッティングになっていた。

久々に礼服を着たら、キツイ。

楽器を取り出そうとしゃがんだときに、その音は鳴った。「ビリーッ」

うああ、やっちまったか。その時はまだ甘く考えていた。上着も着るし、まあゴマかるよね。そして一応、どの程度やっちまったのか見ようと思って、身体をひねってケツを見る。

「どひゃー!」

普通、このような状態の時があっても、2〜3cm程度ですよねえ。ところがこの時はその10倍、すなわち30cmほど中央の縫目部分が裂けていたのである。

嗚呼、厳しい本番であった。出入りはカニ歩きで行った。壁があるところでは、即座壁に背を向けて張りついた。いやあ、演奏が座りで助かった。

こうして、オレの初代礼服は、その命を終えたのである。





3.オレの危機一髪シリーズ


ずーっと昔。

初代礼服を買って1年、その日は大学の1・2年生のオーケストラの学園祭での本番であった。オレが生まれて初めて『運命』を吹いたときである。

本番が終わって、着替えをするべく本番をやった大教室から部室のある建物へ向かっていた。学園祭の最後、人出が多く校内は賑わっていた。11月である。陽の落ちるのは早い。通りが混んでいたため、ショートカットをしようと低い柵をまたいだ。その部分には灯りはともっていないため、足下は暗い。しかしオレは何とか『運命』を吹き終えた感慨で興奮していた。

気がついたら、妙な落下感があり、身体の周りをすべて墨で覆われたように、視界が消えてなくなった。オレは深さ3mはあろうかという池にずっぽりと落っこっていたのである。オレの人生の中で、最も死に近づいたベスト3にはいる事件であった。

藻掻きながらも、何とか岸から這い上がった。よく見ると楽器が池にプカプカ浮いている。「ああ、発砲スチロールがいっぱいつまったバックのケースでよかった」と思ったものである。そこらへんから棒を探し出し、突ついて引き寄せた。

後から見ると、そこは大学で「フサカ」という蚊の幼虫を飼っている実験用の池であった。何でそんなもんがあんなに深いんじゃ?

そのとき着ていたのが、初代礼服であった。

オレの初代礼服は、このような過酷な使用によく耐えてくれた。無理がたたったため最後には「一気に30cmケツが裂ける」という壮絶な死を迎えたのであろう。今は実家の箪笥の中で、静かに眠っている。どうもありがとう。安らかにお休みください。


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