連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第29回(2002/8/23)

失せ物忘れ物

海老原 達彦
 全ての事物に神が宿るという古来の思想を受け継いだのか、どうやら私は物に恋してしまう質らしい。道具を使っているうちに、だんだんそれに愛着が湧いて、壊れて役に立たなくなっても捨てられなくなってしまう。そのせいか、私の机のまわりはがらくただらけ。私の毎年の目標、「整理整頓」は、多くの女性の目標である「ダイエット」程度の達成率でしかない。

 そんなこんなで、物をなくすと大騒ぎ。中学生の時、親戚にいただいた腕時計をなくしたことがあったっけ。数日後に校庭隅の枯葉焼き跡から焼死体で見つかって、すまない気持ちで大泣きしたことがあったなあ。担任の先生が心配して、親に電話してたわ。

 そうなんです。物に恋する割には、忘れ物が多いんです。ピストンには私なんぞ足下にも及ばない人もいるけど。

 出てこなかったものを思うと、本当に心が痛みます。最近では、昨年のコンフェデ杯決勝の時にスタジアムに忘れてきた、つれあいの傘かなあ。もうしわけない。

 2年前の年明け早々のピストンの練習前には練習所前に財布を忘れました。楽器を練習室に置く間もなく、練習どころでない状態に。落とした場所が特定できたけど、見つからなかった。練習そっちのけで警察行ったりカード会社や銀行に電話したり・・・。一通り手続き終わったときには、練習は、もう終わりだった。すぐ別の練習に行かなくてはならず、みんなから1万円借りてバスのったら・・・・、そら、両替できまへんがな。運転手さんに許してもらって降りたとき、ありがたいやら情けないやら。

 出てきたモノといえば、上野駅の忘れ物預かり所には、とてもお世話になってます。

 最初は大学生の頃。実家(笠間)から常磐線で、早朝出てきて上野で降りて、神田駅でふと気がついたら、楽器しか持ってない。駒場の授業で使う物たちは何処に・・・。慌てて上野駅の常磐線高架ホームを探した所、忘れ物預かりを発見。そこで涙のご対面となりました。上野駅の皆様、ありがとうございました。

 次は、二年前。オケの本番の朝。楽器とカバンと礼服持って、つくばの家から常磐線で出てきた時のこと。

 同行の彼女は、一足先に日暮里駅で下車。「植松(仮名)みたいに礼服忘れないでね」、なんて、私だってそんなおいしいすることないって。(植松くん(仮名)は、その前の本番の日、列車に礼服を忘れて紛失。錦糸町そごうで急遽仕立てたお大尽です。)

 上野で降りて、乗り換えて、ホール到着、荷物置く間もなく植松くんに遭遇。「植松ぅ〜、今日礼服大丈夫?」。そう彼に聞いた瞬間、私の全身の血がひいていく音が聞こえた。津波か?・・・・、俺の礼服って何処?

 そんなバカな、夢ならさめてくれ、などと思いつつ、電話帳と公衆電話を占拠。何とか上野駅忘れ物係に辿り着き、電話。待つこと10分、早く教えてくれ〜〜!! 「ああ、高架ホームの預かり所にあるそうです」。うっしゃあ。まだ、天には見放されてない。

 さてさて、取りにいって間に合うか?リハ順は?・・・今出かければ何とかなるカモ。指揮の堤氏に事情を説明、「早く行け!」 脱兎の如く飛び出して、駅まで走った走った。電車の中も走った走った。あったあった。またまた上野の高架ホームの預かりに世話になっちまった。お礼申し上げて、礼服受け取って、また走る走る・・・。

 リハーサル、乗り番にぎりぎりセーフ。曲が始まる前に、堤氏が開口一番、「あったか?」。私「ありました」その時舞台からわき起こる拍手。みんな、ありがとう。

 無事本番終わったけど、ソリストの林峰男氏までが知ることに。恥ずかしかったけど、見つかってよかった。早期に気付くきっかけとなった、植松くんには、丁重にお礼申し上げました。

 他にも見つかったもの、見つからなかったもの、色々あるけど、とりあえずこのへんで。


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