連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第39回(2003/1/14)

チビッコのど自慢

高橋 香緒里
小学校のころ、Jちゃんという友達がいた。エレクトーンを習っていた彼女は、演奏よりも作曲が趣味という珍しい子供であった。私のほうは、習っていたピアノよりも、ボタンがいっぱいついたエレクトーンのほうがはるかに面白かったものだ。Jちゃん家に毎日のように遊びにいっては、二人で自作の歌を作ったり、好きなレコードに合わせてアドリブの真似事をしたり。Jちゃんは私にとってはじめての「音楽仲間」だった。

「のど自慢に出よう」と言い出したのもJちゃんであった。彼女は、既に「チビッコのど自慢」開催の情報を掴んできており、その手には参加希望と書いた葉書がすでに書きこまれた状態で握られていた。「2人のコンビなら無敵である。我々にしかできないことをやろう!」

で、まず何を歌うかが問題であるが、Jちゃん曰く、今自分が一番好きな歌がどうしてもやりたい、とのこと。それは何なのかと聞いてみると、

 『青葉城恋歌』(さとう宗之)

ちなみに当時、小学校4年生。『青葉城〜』は大ヒット曲ではあったものの、すでに4年落ちくらいの過去の曲であった(とてもいい歌なのだが)。ベストテン番組が大流行していた当時においては、4年落ちというのは致命的に古い。古いのはいいとしても客層(?)が違う。Jちゃんの選曲のシブさにアゼンとする私をよそに、すっかりプロデューサー気分のJちゃんは、

 「アタシが上歌うから、かおりちゃんは下ね。ハモリは任せるから、譜面書いといてね。来週レコーディングするから。」

と一方的に決めてしまうのであった。レコーディングってアンタ……。

とはいえ、私のほうも結局はりきって譜面を書いた。Jちゃん家のエレクトーン(録音装置付きの高いやつだ)で多重録音したテープを何度も聴いては、「これレコード会社に送ろっか!」「スカウトとか来たりして!キャー」などと盛り上がりまくったのであった。

さて、そんなこんなで、チビッコのど自慢当日。会場は、家から車で1時間はかかる遠い町の郊外型ショッピングセンター。親戚でもいない限りまず行くことはないような町である。こんな遠くの町のイベント情報を仕入れてきたJちゃんの意気込みの程が伺える(なにしろ鉄道が通っていない町なのだそこは)。

かなり早めに会場に着いてしまったため、店内にあったレコード屋をぶらぶらしていると、Jちゃんが突然、

 「歌、変えてもいい?」

と言い出した。それだけでもびっくりするのに、その替えたい歌というのを聞いてひっくりかえってしまった。その歌とは

 『てんとう虫のサンバ』(チェリッシュ)

……青葉城の次はてんとう虫のサンバとは。当時すでに、披露宴のお約束となっていたように思う(『口づけせよとはやしたて……』をエンドレスループする例のアレだ)。はっきりいって「いけてない」選曲といわざるを得ない。Jちゃんの趣味というのはなんでこう、なんというか、小学生ぽくないのであろうか。しかし、我々2人の関係性においてはリーダーはあくまでお祭りッ子Jちゃんであり、私はその後ろに半分隠れてついていく小心者であったため、「アンタ青葉城であれだけ盛り上がっといてそれはないやろ」とは言えなかったのであった。受付で、歌を変えても良いかどうか聞いてみると、エレクトーン伴奏のお姉さんが「その歌は弾けるから、いいですよ」と言ってくれ(言うなや!)、てんとう虫でステージに上がることになってしまった。なぜ杓子定規に断ってくれないのか。

そもそも、私にはこの歌に対する思い入れが全くなく、歌詞もウロ覚えだったため、本番前はそれを覚えるのに必死で、ハモるだの何だのの仕込みが全くできなかった。当初の目的である「だれも出来ないことをやる」というのはどこかへすっとんで行ってしまったわけである(いや、ある意味、この選曲の飛躍は誰にも出来ないかもしれないが)。

こののど自慢大会は、ちびっこ向け企画の割にはちゃんとしたステージが設営されており、音響さんや司会者、ゲスト兼審査員の歌手から着ぐるみの犬くんやペンギンさんまで揃っており、ちょっとした一大イベントという雰囲気であった。見物客も大勢集まっている。出番がくるまで、横でずっと見ていたのだが、他の出場者もみな結構ウマく、衣装も凝っており、なおかつ、ジュリーとか、百恵ちゃんとか、ピンクレディーとかの、景気の良い最先端ヒット曲ばかりではないか。かたや我々はというと、ちびまる子のような服を着て、歌うのはてんとう虫である。テンションが下がる私につられて、リーダーJちゃんもさすがにちょっと緊張気味に。なんだかイヤな予感がする……。

さてとうとう、我々の出番である。緊張しながらステージに上がると、司会者に「このお嬢さん達は、最初は青葉城恋歌でエントリーしていたんですよ〜、シブい趣味ですねぇ〜」的な紹介をされ、なおかつ、「シブい」というところで笑いが起こってしまった。私は恥ずかしさですっかり頭に血が昇ってしまい、まともに声が出せなくなっただけでなく、2番の歌詞がわからなくなってしまった。Jちゃんも連鎖反応でモニョモニョとなってしまい、曲の途中で中途半端にフェードアウトしてしまったのだが、司会者の「はい会場の皆さんもご一緒にー!」というとっさのフォローで、会場からも心やさしい手拍子と歌声が上がり、なんとか最後まで続けることができたのであった(と思う。あまりの恥ずかしさに記憶が抹消されてしまったらしく、そのあとどうやってステージを降りたのかよく覚えていないのだ実は。「穴があったら入りたいというのはこのことであるなあ」と思ったことだけはよく覚えているのだが)。

最後に、賞の発表と審査員による講評が行われた。我々の講評は「(振り付けの)横ステップがかわいかった」であった。歌については全くコメントされなかった。もちろん賞は「参加賞」だ。自称「最強デュオ」の我々がこの体たらく。せつない……。

ちなみに、一生懸命考えた「青葉城恋歌のハモリパートと伴奏」は今でも覚えている。さすがに録音テープはもうないけれど、音楽の教科書に載っている「翼をください」系のアレンジであるといえば、多少は雰囲気が伝わるかもしれない。今となっては恥ずかしくも甘酸っぱい思い出である。


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