連載エッセイ「日々の徒然」

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◎第40回(2003/4/6)

タコの海岸物語

和気 愛仁
1999年の7の月。ノストラダムスの大予言がどこへ行っても話題となっていた頃。来たるべき世の終わりとはまったく無関係に、我々ピストンクラブは、千葉県岩井海岸の民宿にて二泊三日の合宿をおこなっていた。本番は2週間後に迫っていた。

梅雨明け直後である。夏の房総の海と空はどこまでも明るく、しかも小中学校の夏休み直前だったために、海岸の人影はごくまばらだった。北関東の海なし県に育った私は、海を見ただけではしゃいでしまうのであるが、加えてちょうどその時期、本業のほうでかなり厳しい状況にあったために、すっかり浮かれた調子で開放感に浸りきっていた。その浮かれ気分が後々悲劇をもたらすことになろうとは、そのときの私には知るよしもない。

もちろん、浮かれていたのは私だけではなかった。例えばT木氏などは、深夜になって宴会が終わったあともはしゃいだ気分を押さえきれなかったらしく、さっさと布団に入ればいいものをいつまでも起きていて、ピアノの前に座って徹夜でメドレーのアレンジを続けるS井氏の様子を背後からじっと見ていたり、明け方になって空が白みはじめた頃に「散歩に行ってくる」と海岸へ出て行ったりなどしていたらしい。まったく子供みたいである。

宿のホールにはビリヤード台があって、休憩時間にはみんなでビリヤードを楽しんだりもした。練習はかなりきつかったが、それでも気のあった仲間たちと過ごす時間は充実していて楽しかった。そんなわけで、好天に恵まれた3日間の合宿は、無事終わりを迎える、はずだった…。

最終日の練習は、午後3時過ぎに終わった。もうすぐ解散。となれば、あとは海である。この暑さだ。もはや泳ぐしかあるまい。部屋を引きあげ、楽器や諸々の荷物を車のトランクに詰めると、我々はそそくさと水着に着替え、こぞって海岸へと繰り出した。気分はもう「うみー!」である。だがしかし、そのときの我々に貼り付いていたのは、寝不足、二日酔い、練習疲れ。このときもう少し正常な判断力が残っていたなら、私は悲劇に遭わずにすんだに違いないのだ。

宿から海岸まで歩いて1分。砂浜にTシャツとサンダルを放り出すと、私はずんずんと海へ入っていった。海岸はほぼ無人である。私は頭から波をかぶり、心ゆくまで夏の海を堪能した。

1時間か2時間か、いいかげん波にもまれ疲れて、浜辺へ戻った。ほかのみんなもくたびれた様子だ。じゃあそろそろ帰ろうか、と、みんなで宿へ戻った。

そこで突然、気がついた。

車のキーがない。

いや、そんなはずはないだろう。海パンのポケットをまさぐる。バスタオルを広げてばさばさと振ってみる。やっぱり、ない。手持ちの荷物はこれだけだ。あとはすべて車の中。ということはインキーか?やっちまった…。さっきまでの浮かれ気分はどこへやら、急激に落ち込む。

たまたまJAF会員であったChろこに、JAFを呼んでもらった。ほどなくおじさんが現れ、みごとな技でドアロックをはずしてくれた。

おじさんに金を払い、車の中を探す。しかし、やっぱりみつからない(このとき、なぜか一緒になってあわてていたAB原氏が、キーを探すどさくさの中で、私の手提げカバンをChろこ号に載せ替えていた。これもまた後に悲劇の一つとなる)。

トランクと室内を3回引っかき回したあと、とうとうあきらめた。きっと、海パンのポケットに入れたまま、海に入ってしまったんだ……。まったく自覚はなかった。しかし、状況からしてそれ以外には考えられなかった。ああ、私にとってのハルマゲドンは、空から降ってくるものではなく、海の底に沈んでいくものだったのかもしれない。(おおげさ)

ことここにいたって取ることのできる方法はただ一つ。自宅に電話して、嫁さんにスペアキーを宅配便で宿まで送ってもらうことだけだ。当時私は大学院生だったので、月曜日に休むことはそれほど問題にはならなかった。しかし問題は。あー、嫁さんにどう説明すりゃいいんだ。怒られることは目に見えている。とはいえほかに方法はない。仕方なく、私は自宅に電話し、用件を伝えた。だが、予想に反してそれほど激しくののしられることもなく、嫁さんはスペアキーを送ってくれた(時間の関係上、となりの市の集配センターまでわざわざ行って)。

宿のおばちゃんに、一人だけ延泊したい旨を伝えた。幸いほかに客はなく、部屋は空いていた。ほかのメンバーはもちろん翌日仕事なので、帰ってもらった。

あとできることは、翌日にキーが届くのを待つことだ。私はようやく海パンを着替え、部屋に戻った。

日はすっかり暮れていた。あんなに楽しかった夜が、今度はとたんにさみしい。パソコン(楽譜書きや通信端末としてノートPCを持ってきていたのだ)でもいじるかなあ。そう思ってパソコンのふたを開け、ACアダプタを探す。ない。アダプタの入ったカバンがない。

ふと、さっきの光景がよみがえり、Chろこの携帯に電話する。

「もしかしてオレのカバン乗ってない?」

Chろこは、助手席のAB原氏にその話を伝えた。と、突然、携帯から

「ぎゃー!!!」

という耳をつんざく叫び声。

「ABさんなにするんですかーーー!!!」

背景には「ゴーーーーーーーーー」という激しい風切り音。

Chろこから話を聞いたAB原氏、あわてて何をとち狂ったか、シートを下げるレバーの替わりにドアを開けるレバーを引いてしまったらしい。車高の高いRV車が高速走行している途中である。転げ落ちてエビせんべいにならなくてよかったよほんとに。

そんなわけで、パソコンも使えず、非常用食料としてカバンに入っていたカロリーメイトにもありつけず(涙)、たったひとりの素泊まりの夜は粛々と更けていったのであった。

おばちゃんがカップラーメンをひとつ差し入れてくれた。ひとりですする。

わびしい。

テレビをつけて、ぼーっと見る。日曜の夜。情熱大陸とか、世界遺産とか。

さみしい。

1階のホールに降りていって、ひとりでビリヤードをやってみる。

むなしい。

いつもなら深夜3時4時まで起きているのが普通だったが、1時前には寝てしまった。

翌日。
荷物の受け取りをおばちゃんに頼んでおいて、朝からひとりで海岸へ出た。なんとなく、昨日のあたりを探してみる。もちろん、見つかるわけはなし。昼近くまでひとりで泳ぎ、宿へ戻る。ほどなく宅配便が届いた。大急ぎでパッケージを開け、出てきたキーを見たときのうれしかったことといったら。嫁さんに電話して、キーが届いたことを伝えた。

宿のおじさんは、宿代を10円まけてくれた(涙涙)。私は礼を言い、その場を後にしたのであった。


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