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『トロンボーン吹きから見たトランペット吹き』 第4章
メロディーの吹き方 (リップスラーって出来ます?)野口 洋隆
告白すると、筆者は高校時代まで「リップスラー」が出来なかった。正確に云えば、音が下がるリップスラーは出来たが、音が上がるリップスラーが出来なかった。出来るものとは知らなかったのである。こんなのでアンサンブルコンテストにトロンボーン4重奏で出て、トップを吹いて県大会を突破したのであるから、恐ろしい。では、音程が上がる動きのときにスラーがついていたら、どうしていたのか? 舌をついていたのである。つまり、そのときはちゃんとしたレガートを演奏していなかったことになる。リップスラーが出来ないトロンボーン吹きにトリルはおぼつかない。ときたま耳にするトロンボーンのトリルは、当時の筆者にとっては「超能力」の世界の出来事であった。(ちなみに現在の筆者にとっては「高能力」の世界にはいってきた。だが「循環呼吸」は超能力の世界である。) もちろん、リップスラーを使わなくても吹けるメロディーは多い。リップスラーが出来たからといって、何でも吹けるという訳ではない。しかし、リップスラーが自在に操れるようになると(加えてタンギングのタッチのコントロールとかいろいろ必要だが)、吹ける音楽の幅が一気に拡がるものである。 前章で述べたが、トロンボーンは常に管が解放されているため、途切れなく(すなわちスラーで)音程を変えるのに苦労する場合がある。ピストンの楽器はバルブを押すとき一瞬管がふさがれ抵抗が変わるため、音を変えやすい。(と筆者は勝手に思っている)例えば、トランペットで解放で出る真ん中のFからスラーで音を変えるとする。音程の幅が小さい方が動くのは楽であるからF#へスラーで移動しようとすると、Fを出しつつ2+3の指使いをパッとするとおそらくF#へ移るであろう。倍音としてはひとつ上の倍音に自然に移動するのだ。 ところが、トロンボーンで同じことをしようとすると、ポジションの移動が1→5となり、かなりの距離がある。人によっては、F→C#のグリッサンドになってしまうかも知れない。F→F#と移動するためには、倍音のシフトを意識せざるを得ない。また、スライドの移動距離が長いため、下手をすると間の音がはいってしまい、F→(G)→F#となることもある。ここら辺を微妙にコントロールしながら、トロンボーンを吹く必要があるのだ。 F→F#の移動だけでこれである。トロンボーンの機動性のなさは、ある意味絶望的である。トロンボーン吹きの多くは、16分音符を見ただけで数が数えられなくなるが、これはそのような音符を見慣れていないためである。作曲家もトロンボーンの機動性については、多くを期待していない。 トロンボーンの管は常に解放されているため抵抗の変化がない、と述べたが、厳密に云えば、ちょっと違う。スライドを伸び縮みさせるため、スライドを伸ばしたときは管内が負圧になり、逆にスライドを引いたときには管内が正圧になる。このことは、例えばオクターブ近いスラーでの上昇をする場合に、変えポジションを使ってでもスライドを引く方向の動きにした方が、口に抵抗感が与えられ、上昇スラーをしやすい、といった技法につながる。 このように、トロンボーン奏者は、まったくもってアナログの世界で、楽器を奏している。これに比べるとトランペット奏者は、押すか離すかの2進法の世界により近い。 筆者が何時リップスラーが出来るようになったのか、既に記憶の彼方だが、筆者にリップスラーについて考えるきっかけを与えてくれた、身近にいるトランペット吹きで、リップスラリストである「彼」のことについて語ろう。 「彼」はトランペット吹きには珍しく、いつもリップスラーをさらっている(ドソドソドソドソ シファ#シファ#シファ#シファ#・・・というやつね)。トロンボーン吹きは、結構リップスラーが好きなようで、オケのステージ上でチューニングの前にトイトイやっている人も見受けられるが、前述のようにトランペットの人はスラーでそれほど苦労しないため、指ならしでパラパラ吹くことは多くても、リップスラーの練習をまともにやるのは珍しいのだ。そんな「彼」は、リップスラーの練習のたまものなのか、ある種のパッセージを吹くと音の角が取れるというか、あるパターンの音の移動に際して極ナチュラルなポルタメントがかかるというか、独特のニュアンスを出すのであった。「彼」とは、ピストンクラブのステージでは、短調のメロディーを吹かせたら天下一品と評されている真っ赤なフリューゲルの男である。何故「彼」がそんなに短調にハマるかというと、リップスラーによる独特のニュアンスにあるのではなかろうか、と筆者は秘かに思っているのであるが、いかがなものか。 まあ、見た目とかライフスタイルとか病弱さとかうけないギャグとか、多くの要素が寄与しているのではあるが・・・・ |
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