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『トロンボーン吹きから見たトランペット吹き』 第7章
精神主義者と実利主義者 ("ハード"に頼るのは悪か?)野口 洋隆
トランペット吹きは何本も楽器を持っていることが多い。もちろんB♭管1本で何でも吹いてしまう強者もいるが、筆者の周りを見ても、何本も楽器を持っている人が多い。彼らは一般的に以下の種類の楽器を持っていたりする。
トロンボーン吹きは、そんなにたくさん楽器をもっている人は少ないようだ。次章で述べる通りトロンボーンはテナーとバスと分業されているのだが、一般的に次の楽器があればフル装備である。なければないで、一向に構わない。 [テナー吹き]
楽器1本あたりの価格は、トロンボーンもトランペットもそんなには変わらないのだが、所有楽器本数の差はどこからくるのであろうか? トロンボーン吹きは貧乏が多いのだろうか。 楽器所有本数の差の理由として、次のような説明が当てはまるような気はする。
転じてトランペット吹きはどうか。 彼らは、いろいろな管を足下に並べて、パッセージごとにとっかえひっかえして吹くことを、まったくいとわない。ピストン楽器とロータリー楽器を、好んで使い分ける。ただしこれは、お値段の張るロータリー楽器をせっかく買ったのだから、何かと使いたい、という心情に起因することも多かろう。 人によっては同じ曲の中でバックとモネットを使い分けたりする。謎である。また「トランペット吹きの休日」の最後のソードーーー(実音:F−B♭−−−)を、はずさないために、E♭管で吹く者もいる。言語道断である。 このような「ハード」に頼るトランペット吹きは、トロンボーン吹きから見ると軽薄な実利主義者に見える嫌いがある(モネットについては、筆者もまったく同感と云わざるを得ない)。 とは云え、トロンボーン吹きにも楽器コレクターはいる。とある邦人プロのソロCDでは、アメリカ物はエドワーズで、日本物はゼノで、フランス物をコルトワで吹いているが、このいい例である。 ドイツ管を吹くトロンボーン吹きも危ない。デニスウィックの名著「トロンボーンのテクニック」では「ドイツの奏者はあんな楽器をよく吹いていて感心する」と皮肉られているのだが、こんなドイツ管にはまってしまうトロンボーン奏者が、中には、いる。何故か筆者の周りには多いようであるが・・・・ ドイツ管ではF管ロータリー付きの抜差管と、何もついてないU字型のシングル管とを取り替えられるタイプのものがある。第5章で触れたブラ1のコラールにおいて、コラールだけシングル管で吹き、それが終わるとF管付きのと取り替えて吹いた、というステージを見たことがあるが、これなどは何となくトランペットチックで、ちょっと微笑ましい気がした。しかし、感度の悪い筆者の耳では、その両者の違いを聞き分けることは、とうてい出来やしないのであった。 ともあれ、トロンボーン吹きが楽器をあまり持ち替えないのは、次の理由であると筆者は考えている。
よって、ひとりのトロンボーン吹きが吹けるのは、せいぜい2種類、それもテナーとアルトとかのように4度程調が違うくらい差があるものであると考えられる。 同じ調や近い調の楽器を、とっかえひっかえ吹くのは、ポジションの混乱を招き無意識のうちに避けてしまうような気がする。 トランペットにも音程の良い楽器、音程の悪い楽器がある。各バルブの管の長さが適正でなければならないことはもちろんだが、マウスピースとの相性とかで、音程の癖はいろいろと変わる(と、筆者は思っている)。しかし奏者としては音程が良かろうが悪かろうが、その音の指を押すしかない訳であり、トロンボーンのように微妙にポジションの位置を変えるというような動作は行いようがない。むしろ、金管楽器は例えばB♭管ならB♭とかE♭とかFとかの調が吹きやすく、音程もはまりやすいのであるから、シャープ系ならC管とか、稀にD管とか、ピッコロをA管にして吹くとか、楽器を持ち替えた方が良い場合が多いのであろう。 本章の最後に、筆者がもっと世の中にあってもいいのではないか、と思っているトロンボーンのことを述べる。それは、
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