連載エッセイ「日々の徒然」

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◎特別編(2000/10/26)
『トロンボーン吹きから見たトランペット吹き』 第8章

上吹き下吹き論 (やっぱりハイトーンが出ると嬉しい)

野口 洋隆
  • 金管楽器には「上吹き」と「下吹き」の2つの人種がいる。
これはどうなのだろう?

確かにホルンとかを見ていると、上を吹く人と下を吹く人と厳然と分業している姿も観察される。トランペットでも、やはり、上は出るけど下は苦手とか、上の音はつらいけど下はバリバリ出るとか、得意な分野が分かれているようだ。音域が広いホルンはともかく、わずか2オクターブ余りのトランペットにしてこれである。金管楽器とはつくづくマニアックなものである。

筆者のトロンボーンの師匠は、「下がしっかり出なければ上は出ない」という教えの持ち主で、筆者は体験的にこれは当たっていると思っている。真ん中の音から徐々に上と下の両方へ音域を拡げていく、というやり方である。トロンボーンで本当に上が出る人は、下の音もやたらと出る人が多いのである。ハイFが出る人はペダルFも出るということだ。
しかしトロンボーンには「バストロンボーン」という楽器を吹く人がいる。楽器上はトランペットやホルンよりも明白に上のパートと下のパートが分かれている。ただ、テナートロンボーンとバストロンボーンは、原始の昔は違ったが、現在は両方ともB♭管である。違いは、管の太さとベルの大きさ、マウスピースの大きさ、多くのバストロにはロータリーが2つついている点くらいである。従って、音域としてはテナーもバスも余り変わらないのだ。筆者の師匠の「下が出る人は上も出る」理論からすると、バストロの方が下の音をたくさん吹いているのだから上も出るという理屈になるが、悔しいことにこの理屈は的を得ている。バストロ吹きは、以外にハイトーンが得意だったりすることが多い。

先にも述べたが、トランペットでは上の得意な人と、下の得意な人といる。両方いける人もいることはいるが、編曲をしていて、高い音のパッセージを吹く人にたまに低い音を書くと、非常に嫌な顔をされる。

筆者には、これは新たな発見であった。

トロンボーンを吹いている場合、特にカルテットのトップを吹いていたりすると高い音が続いてバテてくるのである。そのとき、1フレーズでも内声の低い音の部分があると、かなり楽になる。その気持ちで、ある曲を編曲したときトップに「お休み部分」として低い音をふったのだが、このときその奏者は云ったのだ。

 「低い音は疲れるんだよなー」

低い音は疲れる・・・・筆者には新鮮な響きの発言であった。

高い音と低い音では、口の作り方が違うのであろうか。ともかく、それ以来筆者は奏者を休ませようとする場合には、低い音を書くという姑息な手段を使うことなく、本当に休符を書くことにしたのである。

ところで、ここまでお読みいただいた方には感じられたかも知れないが(さて何人いることやら・・くどいって)、筆者はハイトーンプレイヤー礼賛説をとっている。いろんな理屈をあえて無視して、基本的に金管奏者はハイトーンが出る人がエラい、というラディカルな説をとっている訳だ。

これが非常に反感を買う説であることは、重々承知しているつもりだ。じゃあ、おまえはハイトーンが出るのか?と問われれば、「否」と答えざるを得ない。筆者はミドルトーンプレイヤーを自認している。まあ、自分が出ないから、憧憬を込めてこの説をとっていると思っていただきたい。

しかし、下を吹く人は重要である。トロンボーンアンサンブルでは、どちらかというと上を吹く人は貴重で求人も多いので、ハイトーン礼賛説をとっていられるのだが、トランペットアンサンブルで必要なのは、下を吹く人間である。これは筆者がピストンクラブに参加して、初めて分かったことである。特殊なトランペットのことはここでは触れないにしても、B♭管のトランペットで五線の下にはみ出る音をちゃんと吹けるトランペットのいかに貴重なことか! そしていかに少ないことか! こういうトランペットの人は大切にしなければいけない。

人々の目は、どうしてもハイトーンを吹く人の方へ行ってしまう。彼らは目立つ。はずしても目立つ。余りにはずすようだと、降ろされる。目立つ分その責任は重い。そのプレッシャーに負けるようでは務まらない。ハイトーンプレイヤーに対しては周りの人は自分は吹けないという引け目もあってどうしても甘やかしてしまう傾向にあり、ハイトーンプレイヤーはプレッシャーに負けない性格でなければならない(すなわち、ものごとを余り気にしない)から、彼は我が儘なトランペット吹きという人種の中でも、ひときわ我が儘にならざるを得ないのである。

ある時は音程が我が儘になり(高くなる)、ある時はテンポが我が儘になり(速くなる)、またある時はダイナミクスが我が儘になる(でかくなる)、それがトップ吹きの性向である。これに対して、下を吹く人間は、ある時は我が儘につきあい、ある時は正義の鉄槌を下してこれを矯正し、どうしようもない時は冷たく見放して知らんぷりを決め込む必要があるのだ。より高度な人間性が必要とされるのが上吹きか下吹きか、まったくもって明らかではないか。

音程の話をすれば、高い音はジャストの音程よりも高くなる傾向にある。その理由は、ジャストよりも低くなった場合、「ぶら下がった」ように聞こえ、非常に格好悪いため、どうしても上よりを目指してしまうことにある。

これが高じると、次のような金管奏者の悪癖が顕在化する。
  • 「ちぇっ、上にはずしちまった!」と満足げに舌打ちをする。
馬鹿者! 上でも下でもはずしたことに変わりはなかろうが!

誠に金管奏者とはどうしようもないもので、高い音を上にはずすことを、開き直って誇りに思うことさえある。しかし、「当たらないものは当たらないんだから仕方ねーじゃねーか。果敢に向かっていって行きすぎた、その心意気を買ってもらいたいもんだ」という気持ちも、同じ金管奏者として分からないでもない。楽器って難しい。

高い音が苦手な人は、恥じることはない。正確な音程で、良い響きの音で、正しいリズムで、音楽性豊かに演奏できれば、これは素晴らしいことなのである。そして、それは大変難しいことである。たまたま高い音が出せるというだけで、多少の音程や音質やリズムの瑕疵を周りから目をつぶってもらっているだけのハイトーンプレイヤーと比べたら、どんなにまっとうな存在で、音楽家としての将来が開けているか知れない。もしかしたらその高い音が出る人は、音程とか音質とかリズムとかをいい加減にしているためハイトーンが吹けるのかも知れない。苦手という人は、それらをちゃんとしようとし、より厳しい条件でハイノートを出そうとしているがため、なかなか出ない、というのかも知れない。

トランペットのハイトーンは、やっぱり、出すのは大変である。北村源三先生もトランペットは音を出すだけで難しい楽器とおっしゃている。確かにトランペットに比べると、トロンボーンの方が音を出すだけならやさしいような気がする。

よって、ハイトーンを吹くトランペットの人のことは、温かく見守って上げなければならない。筆者もトロンボーン、特に1stを吹くときは、隣の1st Trumpetが多少音が上擦ったらちょっと音程を上げてつけてやり、勢い余って走った場合は一緒に走ってあげ(一応、後で忠告)、重要なパッセージをはずしても聞こえないフリをしてあげることを心がけている。(そう、隣がソロで、自分が休みのときは、けっして隣を見てはいけない。)

しかし、余りにひどいときは、心を鬼にして冷たく見捨てよう。その場合は終演後、指揮者から以下のようなコメントがなされる。

 「なかなか盛り上がって良かったですねえ。ただ、初日が出ないのがね、残念だった」


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