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『トロンボーン吹きから見たトランペット吹き』 第10章
終論 バスラッパーの孤独 (オレは先駆者になれるか?)野口 洋隆
「これこそオレがやりたかったことだ!」筆者は思った。その頃、筆者は新入社員として赴任地の青森県八戸市の住民であった。学生時代ずーっと吹いていたトロンボーンも、たまに吹くくらいでお休み状態であった。ある日研修の出張で東京に来たとき、休日を挟んでいたので、大学オケの同僚のAB氏のところへ遊びに行った。ここで現在の筆者の運命を決するあるビデオを見せられたのである。それは、独身男性の欲望を充足する刺激的なものであった。間違えた、ピストンクラブの第1回演奏会のビデオである。 酒を飲みながら、演奏会の様子を映しているビデオを最初から見ていた。そのときの筆者は、トロンボーン奏者である。トランペットだけでよくやるなあ、と思いながら見ていたのである。そうこうしているうちに、ビデオが終盤にさしかかった。そこに映し出された光景に筆者は目を見張った。よく知っているディズニーの音楽が縦横無尽にアレンジされ、メンバーが代わる代わるソロをとっている。おまけにドタバタと歩き回り、ある時は舞台袖から、ある時は客席から奏者が出てきて聴衆をびっくりさせている。それまで、やってはいけないと思っていたことが、次から次へと行われている。タブーが解禁されている。人目をはばからずにご飯に味噌汁をかけて喰うような、そんな突き抜けてしまったステージの模様がそこにはあったのだった。 「こ、これは、演奏会と銘打った宴会芸ではないか!?」 ピストンクラブの和気氏は、筆者のこの感想を「これこそエンターテイメントと思った」と書いているが、物は言いようである。 筆者はこれでも大学時代インチキ手品を始め、コンパの芸では一世を風靡したものである。優れた芸を見せられると、黙ってはいられない。筆者の目には、ピストンクラブのステージは、極上の芸に見えたのである。 「オレもやりたい」 こう呟いた筆者に対して、AB氏は東奔西走し、7万円のバストランペットを新大久保で発掘し、遠く八戸まで送ってくれたのであった。かくして筆者はピストンクラブの一員となり、第2回演奏会より出場している。 それまでスライド楽器しか吹いたことのない筆者はピストン楽器との格闘を始めた。十和田湖から流れる奥入瀬川というのがあるが、夜この河原まで車を走らせ寒風の吹きすさぶ中バストランペットを練習したものだ。さすが7万円だけあり、この楽器は2番ピストンがよく止まった。適度にバルブが削れ、ピストンが快調に動くようになるには、2年の歳月を必要とした。 当初筆者はピストン楽器は初心者のため、条件をつけていた。出来る曲の調は、B♭かE♭かF、短調はだめ、音符は八分音符まで。この条件を無視するように最初に筆者にあてがわれた楽譜は、シャープ系で、十六分音符でmollのソロがバリバリある、ファゴットの楽譜そのものであった。 「おわあ、これは吹けないぞ」 当時ピストンに馴れない筆者は、スライドの方が速いパッセージが吹けるのだった。第2回の演奏会の練習では、真剣に「どうしてもダメならトロンボーンで吹いた方がいいんじゃないですか?」とか会話をしていたものだ。 もしここでトロンボーンを使っていたら、今日の筆者はないような気がする。こんなんで演奏会に出てしまって大丈夫なんだろうか?と悩んでいた筆者にバストランペットで出ることを決心させてくれたのは、北村源三先生のレッスンだった。 「うん、いいんじゃない」 ホンマかいな? 筆者は怪訝に思いながらも、バストランペットで演奏会本番に臨んだのであった。よく思い出してみたら、この段階で既に筆者は調子に乗って、ピストンクラブのためにアレンジを始めているのであった。アンコールの曲がそれであった。 かくして10年近くバストランペットを吹いてきた。しかしこの間筆者のように恒常的にバストランペットを吹いている人には、出会ったことがない。いろいろバストランペットについて語り合いたいのに、筆者しかいないため、語り合う人がいないのである(当たり前か・・・・)。各種の金管アンサンブルやトランペットアンサンブルが集う催しとかにいっても、筆者はいつもひとりである(これまた当たり前か・・・・)。やはり最近孤独を感じている筆者である。 バブルが崩壊しても、ピストンクラブは崩壊しなかった。各種フェスティバルとかに参加しても、おおむね好評だった(かなあ?)。筆者らが大学にはいった頃と比べて、ピッコロトランペットもだいぶ一般的になってきた。 そろそろピストンクラブに続くトランペットアンサンブルが出てきてもよいのでは? これが、出てこないのである。うんともすんとも言わない感じである。そんなに魅力がないのか、この分野は!? と自信をなくすくらい、出てこないのである。 まあトランペットアンサンブルが出てきても、そこにバストランペットがあるとは限らないが、そんな形態の音楽をやりたいと思う人たちが現れてもいいじゃないか! オーケストラでも一部マニアックな曲があり、バストランペットが出てくるものがある。中には音楽史においても重要な曲があり、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」とか、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」等がある。バストランペットを所有しているという特殊性があり、都内のアマオケでバストランペットを使う曲をやるときに、筆者を呼んでくれることがあって、何度かオケでもバストランペットを吹いたこともあるし、また、他のバストランペット所有者にも遭遇したこともある。多分、多くのバストランペット奏者は、ワーグナーをやりたくて、この楽器を手に入れるのではなかろうかと思われる。そういった意味で筆者はトランペットアンサンブルというか、ピストンクラブがやりたくてこの楽器に手を出したのであり、非常に特殊な例ではないか、と思っている。 筆者はバストランペット奏者としての自分を「バスラッパー」と自称することにしている。 本稿では今まであえて「ラッパ」という言葉の使用を避けてきた。言葉の定義に正確性を期するためであるが、実は「ラッパ」や「ラッパ吹き」という言葉には非常な憧れがある。これがトランペットだと、自信を持って「ラッパ」と云えるのだが、トロンボーンだと「ラッパ」という言葉が使いにくい嫌いがある。バストランペットを吹く筆者は、いつしか「バスラッパー」という響きはいいんじゃないか?と勝手に思い、自称することにしたのだ。「ピアニスターひろし」の影響もあるんかいな? さて、筆者は今孤独である。バスラッパーとして孤独である。また、ピストンクラブも孤独である。いろいろ問題はあるのだが、筆者はピストンクラブを常に新しい可能性を求めていく進歩(か、退歩か変容か脱線か、それは知らんが)を持った団体だと考えている。そして、筆者が思うそれがなければ、ピストンクラブには参加していないはずである。 だからピストンクラブは常に何か未開の荒野を行くところがあると思うし、そこでバスラッパを吹く筆者は、これは我ながら「先駆者」なのではないか、と勝手に思っているのである。 ここまで、下らない戯言をお読みいただいた諸氏に感謝したい。そして最後にお願いをさせていただき、本稿を終えたいと思う。 ぜひともピストンクラブの演奏会に足を運んでいただき、ご判断を仰ぎたい。 オレは先駆者になれるか? |
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