連載エッセイ「日々の徒然」

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◎特別編(2000/10/26)
『トロンボーン吹きから見たトランペット吹き』 第9章

トロンボーンアンサンブルの醍醐味 (Aメロもサビも全部トロンボーン)

野口 洋隆
ピストンクラブではトランペットだけでアンサンブルをやっているが、世の中にはトロンボーンだけでやるアンサンブルもある。むしろ、トロンボーンアンサンブルの方が市民権を得ていると云える。市販されているトロンボーンアンサンブルの楽譜は、トランペットアンサンブルの100倍以上あることは間違いない。

筆者のようにトランペットアンサンブルに参加しているトロンボーン奏者というのは非常に数少ないだろうが、金管アンサンブルとかでトランペットと一緒にやっているトロンボーン吹きは多くいるだろう。そんな彼らがトロンボーンアンサンブルをやりたくなるときが来る。それはこんな場面においてである。
  1. もっとメロディーが吹きたい! いつもトランペットがおいしい旋律で、たまに下にメロディーが来たらホルンかよ。トロンボーンアンサンブルなら、いっぱいメロディーが吹けるに違いない。特に、サビが吹きたい。サビを思う存分吹いてみたい! おっ、この曲はサビがトロンボーンだぞ、と思いきやトランペットとオクターブかよ。いっそトロンボーンだけでアンサンブルをするぞ!

  2. トロンボーンだけならハーモニーもタッチもバッチリ合うのに、他の楽器がはいると、いつも音程合わせだけで苦労する。いっそトロンボーンだけでアサンブルをしたなら、どんなにか合うことか。

  3. アンサンブルって室内楽なんだから、もっともっと一体感がある音楽が出来るはずだ。でも、トランペットとかホルンとかいると、仲はいいんだけど超えられない一線がある。何か外国人とつきあっていて、どうしても超えられない言葉の壁があるようだ。たまには、同じ人種だけで、腹の底の底まで割ったアンサンブルがしたい。

  4. トロンボーンだけが降り番でヒマである。しょうがない。トロンボーンだけでアンサンブルでもするか。
まあ、上記4.の理由が一番多いような気がするが。

筆者の高校のブラスではアンサンブルが盛んで、夏の吹奏楽コンクールが終わると(秋=普門館まで行ったことはない)、冬のアンサンブルコンテストに向けて勝手にみんなでいろいろなアンサンブルを組んでやっていた。当時、1校から4団体が地区大会へ出ることが出来たが、この4団体を決めるのに土曜日の午後を半日使って、校内アンサンブル大会をやっていた高校である。まずこれを突破しなければアンサンブルコンテストには出場出来ない。

高校1年のとき金管8重奏でガブリエリをやって、初めて東海大会まで行った筆者らは、これに味をしめ、早々とアンサンブルの練習を開始していた。一応本命の団体があり、これが前年と同じ得意のガブリエリの8重奏であった。アンサンブルコンテストの編成の上限は8重奏である。数が多い方が聞き映えがして、コンテストでは有利に働くという計算もあった。筆者も第1クワイヤーの奏者として参加していた。

ところが、筆者はこのとき、上記1〜3の理由によって、猛烈にトロンボーンアンサンブルがしたくなったのである。校内アンサンブル大会は、出場は無制限に自由である。校内のブラスだけなのに、20団体くらい参加したのではなかろうか。ここにガブリエリの8重奏のうちの下4本のトロンボーンだけでカルテットを組み、先輩が東京まで行って(筆者の高校は長野県立須坂高校)買ってきた、ある譜面をさらいにさらったのだった。

校内アンサンブル大会当日。ガブリエリの8重奏は本命通りのいい出来である。しかし、秘密練習を重ねてきたトロンボーンカルテットが大逆転をし、代表としてアンサンブルコンテストに出場することになったのだ!

愕然とするガブリエリのトランペット奏者。(後に、彼らのうち上級学年の2人は急遽金管5重奏を組み、コンテストに臨んだ。)

学校代表となった筆者らのトロンボーンカルテットは地区大会を通り、本校から出場したほかの3団体もともに県大会へ進んだ。県大会でも筆者らのトロンボーンカルテットの評価は高く、目出度く東海大会へ出られることになったのである。その年の東海大会は名古屋であった。長野から4時間の旅行をして名古屋まで行って大会に出場した。筆者の高校のブラスでは、みんなこの旅行をすることが最大の目的で、練習に熱を入れていたような気がする。楽しい時代であった。

東海大会では、さすがに壁は厚く、またひとりが演奏中ミュートを落としてしまうというアクシデントもあり、惜しくも銀賞だった。

思えば長い道のりである。当時、長野の山奥では、アンサンブルの楽譜を入手することは難しかった。金管アンサンブルと云えばフィリップ・ジョーンズとカナディアン・ブラスであった。「アイネ・クライネ・ブラスムジーク」のレコード(!)は毎晩聞いた。楽譜の入手には、みんなでカンパをして、ひとりが「東京遠征」をするのであった。市販の楽譜の入手は難しい、ということもあり、このとき筆者は「自ら楽譜を書く」ということを始めたのであった。金管アンサンブルの楽譜や、トロンボーンアンサンブルの楽譜をいくつか書いたものだ。余談だが、この時代ビバルディの「四季」を一部ではあるが金管5重奏にしてみたことがある。その後、カナディアン・ブラスが来日して公演したときにこれを演奏し、ディスクも出したのは感慨深いものがあった。そのとき筆者らは高校を卒業し、東京に出てきていた仲間数人とと一緒にカナディアン・ブラスのコンサートに初
めて行ったのであった。

高校を卒業して十年以上たち、風の噂で、その年の校内アンサンブルコンテストで、ずーっと昔に筆者が書いた楽譜がまだ使われていることを聞いて、愕然としたことがある。

こらこら、そんな楽譜を未だに使っているんじゃない!

だいたいその曲は当時流行したアルフィーのある曲を主題にしたファンファーレである。そんな曲、今時の高校生が知っている訳がないじゃないか!

筆者の思い出話が長くなってしまった。

ともかく、本章の最初にも述べたが、トロンボーンアンサンブルの譜面は、たくさん出版されている。きっとニーズがあるからなのであろう。特にカルテットは響きのバランスとか、ポテンシャルの大きさから、実に数多くの曲がある。あのベートーベンもトロンボーン4本のために曲を書いているのである(3つのエクアーリ)。PJBEのディスクにも収録されている(もちろんトロンボーン4本で)。アマチュア音楽界にも、トロンボーンアンサンブルの団体は多い。

筆者は最近トロンボーンアンサンブルの演奏会に参加したが、我ながらプレッシャーに弱く、不満足な部分が多く残った。トロンボーンアンサンブルの奥の深さを改めて感じるとともに、いつも音楽を引っぱっていかなければならないトランペット吹きの精神的大変さを思い知った気がする。

筆者は数多あるトロンボーンアンサンブルの曲に精通している訳ではないが、人並みには知っているつもりである。こんな筆者は、トロンボーンを吹きつつ、トロンボーンの難しさと格闘しつつも、今新たな可能性を探っている分野がある。

それが、ピストンクラブである。

トロンボーンアンサンブルは、世の中に十分広まっている。いろいろな人がいろいろな音楽を奏でている。楽譜も十分にある。CDだって何枚も出ている。しかし、トランペットアンサンブルはこれからの世界ではなかろうか? もちろんCDだって何枚か出ている。でも、バスまで含めたものは、前人未踏の領域ではなかろうか?

と云うことで、次章は終論として、トランペット吹きになってしまったトロンボーン吹きのこと、いよいよバストランペットのことについて語ってみようと思う。


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