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『トロンボーン吹きから見たトランペット吹き』 第1章
序論 トランペット吹きとのつきあい (楽器人口の推算における一考察)野口 洋隆
日本にトロンボーン吹きは何人いるのだろうか?仮に日本の中学高校の人数の5%が吹奏楽部だとしよう(600人の学校で30人)。そして吹奏楽部のうちの10%がトロンボーンであるとしよう(30人の部で3人)。彼もしくは彼女たちが長じてもトロンボーンを吹き続いている(中にはプロになる方もおられる)割合を、よく分からないが20人に1人としよう。以上の状況に当てはまるのは昭和30年以降生まれとして、全人口の半分が該当したとする。吹奏楽がない学校もあるから、それらも勘案して強引に推算すると、日本の人口の0.05%がトロンボーン吹きと考えられる。よって日本では、6万人のトロンボーン吹きがいると推測される。 この6万人のうち、トランペットと一緒に曲をやったことのない人間が、どれだけいるだろうか?考えられるスタイルとしては、(1)ピアノ等の伴奏でソロしかやったことがない、(2)超現代音楽のみをやっているため、変則編成ばかりでトランペットとの共演経験がない、(3)トロンボーンアンサンブルしかやったことがない、等が挙げられるが、いたとしても、スキー場で落とした100円玉を探すくらい難しいに違いない。よって、トロンボーン吹きである限りは、筆者も含め、必ずトランペットという人種と関わった経験があると云える。しかも、トロンボーンとは“大きなトランペット”という意味であることからも分かる通り、非常に親和的な関係にある楽器であり、吹奏楽・管弦楽・アンサンブル・ジャズバンド・ポップスバンド等々を含め、トランペットの隣でトロンボーンを吹くことが大半である。良かれ悪かれトロンボーン吹きはトランペット吹きと深く関わらざるを得ないのである。 ちなみに、「ホルン」という楽器とはどうであろうか?同じ金管楽器として、しかも音域が大分重なっているため、トロンボーンはホルンとも近いと思われる。しかし、吹奏楽や管弦楽では、ホルンとトロンボーンは違う列に並ぶことが多い。また、ジャズやポップスでは、ホルンはほとんど使われない。トロンボーン吹きの感覚としては、ホルンの方がトランペットよりも遠いのである(断言)。 このように、トロンボーン吹きは、トロンボーンを吹いているうちのかなり多くの時間をトランペット吹きと共有しているのである。そのため、いろいろと思うことも多いのである。本稿は、それらの経験を思い返し、トロンボーン吹きがトランペット吹きに対して抱いている感情について、全国6万人を勝手に代表して、論考を加えていくものである。 トロンボーン吹きはトランペット吹きに対して、いろいろと思うところがあるものである。しかし、相手のトランペット吹きは、どうなのであろうか? 結論から述べよう。 彼ら(トランペット)は、我々(トロンボーン)が思っているほど、我々のことを考えてはいないのである。ナカリャコフがトロンボーンについて語る場面が想像出来ようか?これについては、今後論じていくつもりであるが、そうなのである。トランペットにとっては、トロンボーンは「その他の楽器」のひとつに過ぎない。 では、この「片思い」にも似た関係は、どこから生じるのであろうか? 徐々に明らかにしていくつもりではあるが、ひとつの例を挙げて、本章を終えよう。 日本にトランペット吹きは何人いるのだろうか? 驚くべきことに、最初に採用したトロンボーン吹き6万人を算出した算式が、トランペット吹きの場合にも適用される。ただし、種々の補正が必要である。
結論:日本にトランペット吹きは約20万人いる。 話ははずれたが、以上のように、人がトランペット吹きになるきっかけは、トロンボーンよりも広いのである。さまざまな人間により、さまざまなシテュエーションで、トランペットは吹かれる。 野球の応援で、トロンボーンがどうしても要るか? 消防団のトランペットの人が、トロンボーンを知っている必要があるか? 極端に云えばそういうことである。 トロンボーンにとって、「トランペットが必要」という場面は多い。オケでもブラスでもジャズでも、野球の応援でさえもそうである。筆者はトロンボーン1本だけで会社の野球部の応援をしたことがあるが、やはりトランペットがいないと、様にならないのである。しかしトランペットにとって、トロンボーンがどうしても必要という場面は、もしかしたらないのかも知れない。彼らにとってトロンボーンがその他大勢の楽器のひとつという所以である。 かくして、トロンボーン→トランペットの片思いの構図は描かれるのである。 |
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