連載エッセイ「日々の徒然」

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◎特別編第2弾(2003/2/9)
『トランペット吹き《もどき》から見たトロンボーン吹き』
〜続・トロンボーン吹きから見たトランペット吹き〜

【第1章】 Fバルブへのこだわり 〜ハグマンは業界を席巻するか?〜

野口 洋隆
 「ハグマン」という言葉をお聞きになったことがおありだろうか?

 その前に聞いておくことがあった。「セイヤー」という言葉はお聞きになったことがおありか?
 
 これから述べるのは、一般にシンフォニー・オーケストラで使われるような、F管付きのトロンボーン(日本ではよくテナーバスと呼ばれる)のことであることを、まずご了承いただきたい。

 筆者が大学オケでトロンボーンをバリバリ吹いていた1980年代後半には、トロンボーンの形はどのメーカーも同じようなものだった。というか、大きく分けて、アメリカ管とドイツ管の区別しかなかった。
 1980年代の終わり頃だっただろうか、妙に後ろが長いトロンボーンがちらほらと見られるようになった。「オープンラップ」の登場である。
 1986年に買った筆者のBachのトロンボーンのケースにはチューニングをする主抜差管の外側にもう一本溝が掘ってあるので、この頃からラインナップされていたのかも知れない。ただし、筆者はその当時は見たことはなかったし、何の溝かずっと疑問に思っていたものだ。
 当時のプロの演奏会(スローカーとかベッケとかバロンとかTTCとか、ハートマンとかいろいろ....)を見てもオープンラップを使っている人はいなかったと思う。

 それから15年あまり、よく知らないのだが、今ではオープンラップを使っている人は増えてきた。もしかしたら新しく売れる楽器の半分くらいがオープンラップかも知れないと思わせるほど、珍しい楽器ではなくなった。

 オープンラップの目的は、「F管のヌケを良くする」ということにあるのだろう。それまでのF管は、トロンボーンのベル部分の付け根と主抜差管との間のスペースにバルブとF管をグルグルに巻いて収めてあるものばかりだった。このため、F管を使ったときの抵抗感は大きかった。ただし、世の中の楽器はみんなそういう形だったので、奏者もそういうものだと思って、F管を鳴らすよう練習したものである。
 F管の巻き方は、各メーカーで微妙もしくはかなり違っていた。BachやConn型とYamaha型(カスタムだけかな?)があった。ドイツ管はまた別である。いずれも限られたスペースにグルグル巻いてあった。
 その意味からすると、オープンラップは、コロンブスの卵であると思う。「別にグルグルと巻かなくたっていいじゃん」「後ろから飛び出たって構わないじゃん」このような発想により、それまでグルグルだったF管を、大きくグルリと1周だけさせたものが登場した。これがオープンラップである。

 これに加えて、筆者が1990年代の前半にA県で田舎生活を送っていたときに世の中に出回りはじめため、東京に帰って来たとき「なんだこりゃ」と思ったものがある。これを持っているとトロンボーンではちょっとステータスというようなものだ。

 ●セイヤーである。

 セイヤーとは、新しいバルブ・システムの名称である。
 まず、この形が斬新である。それまでのバルブは円柱形であった。大きさはと言えば、直径が親指と人差し指で作る輪くらいで、高さもその直径と同じか、ちょっと長いくらいのものである。何となく、可愛らしいものである。
 ところがセイヤー・バルプは、円錐系なのである。大きさも、缶コーヒーの缶を円錐系に絞ったくらいの大きさがある。この円錐の軸に沿ってトロンボーンの管を突き通してあるような感じで取り付けられている。
 なぜ、こんな形かと言うと、バルブによって息の流れが極力さえぎられないように、バルブを引かないときと引いたときで同じ方向に息が流れるように管を配置しているからなのである。スライドを通った息は、セイヤーの円錐の頂点からバルブ内にはいって行くが、円錐の底からは管が2本生えており(1本はバルブを引かないとき、1本はバルブを引いたときに息が通る)、ここから直線的に出ていく。

 これがオープンラップと組み合わさると、非常に直線的な息の流れが実現する、というわけである。

 おそらくメリットがいろいろあるのであろう。
 セイヤー+オープンラップの組合せを用いるプロ奏者は多くなっているような気がする。

 加えて、今話題のバルブ・システムが「ハグマン」である。
 筆者はよく知らないのであるが、これもなるべくスムースな息の流れを確保しようという趣旨であろうと思われる。バルブの形状としては、通常のロータリーと同じく円柱形であるが、その大きさがでかいのである。アンマンくらいの大きさがある、と言えばよろしいか。

 しかし、筆者はどうも触手が涌かない。ひとつには、トロンボーンを吹く時間が減ったことがあり、一番の理由は、今使ってるテナーがドイツ管であることにある。つまり、セイヤーやハグマンという新バルブ・システムは、改造でもしない限り搭載できない。
 このテナーがドイツ管というのはクセがあるものでもあり、章を改めて述べるが、筆者は普通の「太管」のトロンボーンを持っておらず、仮にこれを入手しようという場合には、セイヤー、ハグマン、オープンラップというのは考えるべき選択肢なのだとは思う。
 でも、そんなに欲しいと思わないのだ。多分に時代に乗り遅れたひねくれ者という部分はあるのだが。

 はっきり言おう。筆者はオープンラップとかセイヤーは、何かヤンキーな感じがして、どうも好きになれないのである。オープンラップは後ろに飛び出ていて嫌だ。バルブも、セイヤーの尖った感じ、ハグマンの末端肥大症の感じは、普通のバルブの可愛らしい感じと比べて、コンサーバティヴな筆者の感性では受け容れがたい。
(※加えて言わせてもらえば、最近では普通のロータリーを「トラディショナル」と呼んでいる。これにはかなりの違和感を感じている。)

 もうひとつある。バストロならいざ知らず、1回の演奏会の中でF管を引く回数が何回あるか、ということだ。
 これは多くは音域に依存する事項で、1stよりは2ndの方がF管を引く回数が多い可能性が高いのであるが、オケの演奏会で言えば、実は、限られた回数しか使わないのである。2ndを吹いていても、1回も引かないことだってある。また、そんなに苦労をしないでも普通に6pos.とか7pos.を使って吹けばF管を使わずにすむことも多い。

 ●なのに、何故そんなにまでFバルブにこだわるのか?

 真っ当な返答はこうである。
「F管を引いたときの良さだけが問題じゃなくて、普通に吹いているときのヌケ具合、これが違うのさ。バルブがあることによるロスを最小限に押さえる。それがセイヤーさ」

 ●だったら、普通のF管なしのトロンボーンを使えばよろしい。

「いや、たとえ演奏会で1回だけかも知れないけどF管使わないとならない場所がある。そのために最上のFバルブがやっぱり必要なのさ」

 まあ、そこまで言われてしまっては仕方がない。
 筆者の最後の理由を述べよう。

 ●セイヤーもハグマンも、バルブがでかくて首に当たる。

 実は、ちゃんと吹いたことがないので、誤解だったら勘弁である。今吹いているドイツ管は上の方にロータリーがあるので、当たりようがない。Bachもいい感じだった。アルトにも望みもしなかったB♭管がついていて、ロータリーがついてるが、こじんまりしていて好きである。
 筆者は顔がでかいので(体もでかいので縮尺がよく分からないが)、でかいバルブは当たりやすいのかも知れない。

 トロンボーン界で騒がれているF管論争に違和感があるのは、意識的に考えてみると次のことがあるからだと思われる。  
 
 ●トロンボーンの機能性で一番大事なのは何か? 

 トロンボーンの機能性で一番大切なのは、Fバルブではないことは、どなたにもお分かりいただけよう。
 トロンボーンの機能性のもっとも大事なのは、そう、スライドである。
 
 しかし、スライドについては現在の機構の完成度が高いのか、やれセイヤーだ、ハグマンだ、Vだと流行り廃りの話は聞いたことがないような気がする。いくつかのメーカーのオプションでは、ライトウェイトとか、ナローとか用意されており、例えば軽くすることで動かしやすくなるといった謳い文句が付されているのだが、演奏者の間では、主に音質の違いとして語られることが多いと思われる。
 ライトウェイト・スライドにしたら、ドボ8の最後のレドシラソファ#ミレ(in C 16分音符 四分音符=160)を吹けるようになった、とか聞いたことがない。

 筆者が知る限り、トロンボーンのスライドの欠点を克服するための試みが、いくつかなされている。
 
 ひとつは、遠いポジションも届きやすくするために、スライドを斜め方向にしたものだ。つまり、奏者から見て右斜め前方向にスライドが伸びるようにしてあるのだ。人間の右腕の動く範囲からいって、斜めにした方が合理的で、遠いポジションが届きやすいばかりか、この方が動かしやすいという思想による。
 筆者はこれを書物で見たことはあるが、実物にはお目にかかったことはない。
 筆者的には、このような考え方は好きである。

 もうひとつは、ウェブ上のサイトで見たもので、クアドロ・スライドと名付けられている。
 これは、スライドが何重にか折りたたまれた構造をしており、手元をちょっと動かしただけで、その何重かのスライドが全部動いて、本来の管長を確保するというもののようだ。
 ちょっと想像しただけで、ポジションの把握にかなりの時間がかかりそうであり、また、故障しやすいのではないかということが窺われるが、サイトを見る限りでは冗談か本気か判別がつかないものであり、ぜひ一度実物に接してみたいと思っている。(※後注)


 しかし、何故か、このような革新的な試みは、トロンボーン界で無視されていると言えよう。
 何故、トロンボーンの本来的な機能のスライドについての画期的アイディアに目をつむり、Fバルブという、言ってしまえば、なくてもよいような機構にそんなにこだわるのか?
 
 おそらく、カッコよさを求めてのことなのだと思う。
 
 斜めスライドも、ごちゃごちゃに折りたたまれたスライドも、かなりカッコよくない。
 それに比べて、セイヤーは、筆者はそうは思わないのだが、円錐の形状が精鋭的でカッコいいと感じる人も多いようである。さらに、パテントのためだろうか、セイヤー付きの楽器はお値段が張る。趣味品に関しては、同じ性能なら値段が高い方が好まれる傾向にあるのではなかろうか。

 それから考えると、本章のサブ・テーマ「ハグマンは業界を席巻するか?」に関しては、見込みが薄いのではないか、という答えが導かれる。(嗚呼、こんなコト言ってしまっていいのだろうか。トロンボーン吹きとしての将来に対して、重大な背信的発言をしているのではなかろうか、という畏れをあえて押し込めつつ、無理やり続けよう。)
 ハグマンは、カッコ悪い。セイヤーはまだスマートな感じがする、という感覚は分からないでもないが、ハグマンはでぶでぶな感じがする。ハグマンは一部では使われるであろうが、世の中のトロンボーンがハグマンだらけになることは、たぶんない。

 では、最後にもう1点指摘して、本章を終えよう。

 ●セイヤーはトロンボーンだけのものか?
 
 なぜ、セイヤーとかハグマンとかの「優れた」バルブシステムを、ホルンやロータリートランペットに採用しようという動きがないのだろうか。
 セイヤーのトロンボーンが高いのは、パテントのロイヤリティ(特許の使用料)が高いため、とまことしやかに言われている。だとすれば、逆に考えると、セイヤー社としては、ホルンとかに採用した方が、1本の楽器でバルブが4個も5個もついているのだから、収入がより増えるではないか。積極的なセールスがあってもしかるべきではある。
 仮に、セイヤーではバルブが大きすぎて、形態上ホルンには取り付けられないとしても、テューバはどうであろう?
テューバ界でもまた、ピストン派とロータリー派の対立があるようだが、音のヌケという意味ではセイヤーに利があるという論が出てきてもおかしくないと考える。あれだけ大きい楽器なら、セイヤーの5つや6つ付けてもお釣りがくるだろう。それに、テューバの人はいつも言っていないか? ヌケがいいだの悪いだの。

しかし、たぶん結論はそこにはない。ホルンもトランペットも、テューバでさえ、セイヤーを使うなどということを考えないのは、次の理由による。

 ● そんなものなくたって問題ない。


(注※)
 後から知ったのだが、19世紀前半の時点で、すでにダブルスライドというシステムが存在したらしい。コントラバストロンボーンの長いスライド(レバーを持って操作することが多い)の問題に対処するために提案・開発されたもののようだ。筆者は、クアドロスライドはとても現代的なシステムだと思っていたのだが、ルーツは非常に古いものなののようだ。


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