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【第2章】 徐々に進行する大型化 〜太管至上主義は永遠か?〜野口 洋隆
● トロンボーンのマウスピースには、2種類ある。 何のことだかお分かりだろうか? トロンボーンの人なら、聞けば何のことかお分かりいただけると思うし、他の楽器、例えばホルンの人などが聞くと「え〜、そうだったの〜」と思うかも知れない。 2種類とは、「細管」「太管」のことである。「ラージボア」「スモールボア」でも同義である。 「何だ、そんなことか。それを言うなら、テナー用・バス用とか、Uカップ・Vカップとかの2分類もあるじゃないか」とお思いかも知れない。 しかし、この2種類の区別は、特に楽器屋で購入をする際、最も基本的で重要である。 何故なら、太管の楽器に細管のマウスピースははめられないし、逆に細管の楽器に太管のマウスピースははいらないのである。 すなわち、細・太を間違えて買ったマウスピースは、音が出しやすいとか音質がどうだとか言う前に、そもそも使用できないのである。使えるのはせいぜいバズィングの練習だけである。 心ある楽器屋では、「これ下さい」と言って差し出したマウスピースについて、「太管用ですがよろしいですか?」などというように確認してくれる。楽器屋としても、客が買って帰ったマウスピースをいざ楽器にはめようとして、はいらなかったとしたら、店の印象を悪くするからであろう。 正確に言うと、細管用マウスピースは、そのままでは太管の楽器にはまらないが、市販されている管径を太くするアタッチメントを使えば使用可能となる。 懸命な読者諸氏にはお分かりだろうが、トロンボーンの場合、細管・太管の区別は、マウスピースだけでなく、楽器本体についても存在する。 これは、楽器を傍から見ただけでは分からない。 マウスピースの差込口に近づいて、よ〜く見なければ分からない。 よく見ても分からない場合があって、マウスピースを入れようとしてみて、初めて「ありゃ、これ細管?」となる場合もよくある。 計数的には、細管と太管の直径の差は僅かに1.2mmくらいのものである。見ただけではそう簡単に分からないことは想像できよう。 歴史的には、もともとはトロンボーンは細管しか存在しなかったが、より大きく豊かでシンフォニックな音をもとめて管径を太くしたものが生まれ、これが太管として使用されるようになってきた(のだと信じているが、確証はない。いつかちゃんと調べてみたい。)すなわち、太管の登場によって今まで普通の管だったものが、細管と呼ばれるようになったのであろう。 さて、僅か1.2mmの径の違いで、どれくらい変わるものだろう。結論的には、吹奏感としてはかなり違うと言える。細管に比べて太管は、どんどん息がはいっていく、という感触である。 抵抗は、管の長さに比例し、管の断面積に反比例する。同じ管長であれば、管径が小さいほど息がはいりにくく、逆に大きければ息がはいりやすいことになる。前の1.2mmは、比率的には8〜9%程度の違いなので、計算すると、太管は細管より2割増くらいで息がはいっていってしまうことが分かる。 つまり、同じフレーズを吹くのに、太管の方が1.2倍の息の量を使う必要があるのだ。 このように大量に息を使うことになるため、太管の音は太く大きく豊かなものになる。 などと、思っている人が多いような気が、筆者はしている。上の理論は数々の詭弁が弄されている。 でも、太管の方が音が太いというのは、感覚的には正解だと思う。「やわらかい」「太い」「あたたかい」「暗めの」音を出すためには、細管より太管の方が適している、というのがトロンボーン界での一般的理解であろう。そして、オケの世界では太管を使うのが一般的となっている。 前稿でも引用したデニス・ウィック著『トロンボーンのテクニック』でも、太管のトロンボーンが推奨されている。特に近代オーケストラで求められるようなパワフルな演奏のためには、ぜひ太管が欲しい、というようなことが書いてある(と思った)。 このように、クラシック系トロンボーン奏者の間では、今や太管を使うのが常識ともなっている。現に各メーカーの機種でも、クラシック用としてラインナップの中心となっているのは太管であり、細管はスチューデント・モデルとして位置づけられている場合もある。 以上述べてきたことは、トロンボーン界にマニアックに存在する一派、ドイツ管には当てはまらない。簡単に言い切ってしまうと、ドイツ管では、太管化の動きはなされていない。 また、ここまでを通じて、バストロについては、あえて考察対象から外している。これまた簡単に言い切ってしまうと、バストロは太管がデフォルトである。いずれにしろ、バストロというものはトロンボーンの中でも特殊な一派をなしており、バストロ奏者によっては、ひとつの独立した楽器だと主張している人もいるくらいだ。いずれ改めて考察をする章があるかも知れない。 ● 「太くて、やわらかい音」がいい音なのだろうか? 筆者が考察を加えたいのは、この点なのであった。 一般にクラシックのトロンボーン界では、より太く、やわらかい音が「いい音」とされている気がする。これに加えて、諸々の楽器やマウスピースのカタログにも明記されているのであるが、場合によっては「暗い」音が出せる、というのがセールスポイントになっているものもある。 ●「暗い音」っていい音なの? 筆者は、「暗い音」という音の具体的響き如何にかかわらず、暗い音というのは表現が悪く、とても誉め言葉ではないと常々思っている。もう少し言いようがあるのでは、とも思う。 「キミの音は、暗めで、下吹くとよく溶けていいねぇ〜」などと言われたら喜ぶべきなのだろうか? 「キミの音はいいんだけどさぁ、2ndだとちょっと出て来すぎるんだよなぁ。もう少し2ndの音とか吹き方を考えた方がいいよ」 これは、筆者が昔、某先輩に実際に言われたことである。 そう言われた筆者は、「じゃあ、カップが深目のマウスピース使って、ベルもローズベルにしてみっか」とか考えただろうか? まさか。 正直に申し上げると、不遜で自己中心的な筆者は、「あなたの音が出なさ過ぎなんだよ。てゆうか、ツヤなさ過ぎだし....」とか反感を持ってしまったものだが、もちろんこれは筆者の未熟の顕れである。 そのとき某先輩に言われたことはもっともだと思うし、トロンボーン・セクション全体の音というものにもっと配慮しなければならない、という指摘であっただろう。 ただ、筆者の好みとすると、自分が1st吹いているときの2ndには遠慮せずガンガン吹いてもらった方が吹きやすいし、何故か2ndの方が音がデカく聞こえるチェコフィルのディスクを愛聴していたし、2ndだから「退く」というのは、必ずしも馴染めない考え方ではある。 話は同じようで全然違うのかも知れないが、この前ボーカルのアカペラ・コーラスのグループがTVに出ていたのを観ていたときのことである。日本人のグループが全員が同じような声で、「やわらかく」「抑制をもって」歌うことによってハモリの均質さを高めていたのに対し、アメリカ人のグループは個性豊かで全員が「好きなように」歌い、聞けば個々人の声を分けて聞き取れながら全体が絡み合うようにこちらの耳に飛び込んで来る、というように感じたことがあった。 どちらがいい、という話ではない。 その日本人グループのハーモニーは筆者の耳に心地よかったし、アメリカ人グループの歌はエキサイティングな感じがした。ただ、もしかして西洋人の耳にとっては、日本人グループのアプローチは「ボソボソしていてよく聞こえない」と感じるのかも知れない、と思ったのだった(もちろんそんなことはないのかも知れない。筆者には分からない)。 話は外れてきたが、「暗い音」が誉め言葉という感覚には疑問を感じる。 ● キミの音は陰鬱だね。 これが誉め言葉であるとは、筆者にはとうてい思えないのである。 2ndはちょっと暗めの音の方がハーモニーがはまる、という命題にも、上のように考えている筆者は疑問を感じている。 確かに、和音合わせとかをしていて、チューナーでは合っているんだけどハモっているように聞こえない、という場面がないことはない。 しかし、おそらく、おそらくであるが、そのような人はマウスピースや楽器を換えても合わないような気がする。多分、ハモるという状態が感覚で分かってない場合とか、安定した音が出せないとかの原因だと思われる。 とは言え、楽器を換えることが、その感覚に気がつくキッカケとなる可能性はあろう。 音が出しやすいとかの問題の場合もあろう。 筆者自身、オンボロ楽器から新品楽器に換えたときは、よくさらうようになるし。 音楽を作る上で、明るい音、暗い音をバリエーションとして使うことはあるだろう。 抽象的で感覚的な表現なので、どういう音が明るくて、どういう音が暗いのかは人によって捉え方が違うと思う。相対的にしか区別できないと思う。これは明るい・暗いだけでなく、鳴っている・こもっている、遠鳴りする・側鳴りする、太い・細い等々も同じく相対的な感覚だと思う。 ただ、その人の音の特徴を「暗い」というのは、日本語の感覚として、筆者には抵抗感がある。少なくともトロンボーンやトランペットのようなパッパラパーな楽器(どんな楽器だ?)であれば、そのような音に積極的なニュアンスを込める場合には、次の表現を用いたい。 ● 例示:「渋い」「錆びた(主にトランペット)」「通好みの」「ダークな(暗いと一緒じゃねぇか!)」 「暗い音」に関する検討はこれくらいにして、「やわらかい」音というものを検討してみよう。 結論から申し上げると、筆者はトロンボーンが必ずしも太くてやわらかい音を出す必要はないのではないか、と思っている。(ああ、またこんなことを書いてしまった。将来が危ぶまれる....) オーケストラの曲で、トロンボーンと音域・音色がかぶっている楽器にホルンがある。 吹奏楽では、裏打ちマシーンとして日陰の存在と一部では思われているホルンであるが、オーケストラでは花形である。トランペットやトロンボーンと同じ金管楽器でありながら、オケの世界では、ホルンの格は1段も2段も上に位置する。 トランペットが「音程付きタイコ」、トロンボーンは「Tacet」として扱われるオケ作品においても、独りホルンは重要なパートを担う。 だいたいパート譜のページ数からして、ホルンは弦楽器並みである。これに引き替え、トランペットやトロンボーンは、オケ作品では譜めくりすることすらほとんどない。 アンサンブルの世界においても、ホルンは金管楽器でありながら、「木管5重奏」に参加する。フルートやクラリネットのきれいなおネエちゃんと仲良く合奏できるのである。羨ましいぞうっちー。 管の太さ(ホルンは細い)、マウスピースの大きさ(ホルンは小さい)は違うが、ホルンとトロンボーンは出てくる音が一聴して、とても似ている。音域も、かなりかぶっている。まあ、そりゃあホルンの方が広いけど....。 このような状況下で、トロンボーンが太管化すると、ますますホルンとトロンボーンがかぶってくるような気がするのだ。 ホルンの音には、広がりがある。さすが、アルプスの山上で吹く楽器だけのことはある。 私見では、ホルンが最大の威力を発揮するのは、ユニゾンである。例えば、マーラーの交響曲第1番の最終楽章の最後のクライマックスを思い浮かべていただければお分かりかと思う。 そして、筆者の経験からすると、「ホルン奏者はユニゾンが好き」なのである。1番奏者にアシをつけて、クライマックスではアシも含めてみんなでユニゾンを吹き上げる、という光景もよく見られる。 トロンボーン奏者である筆者には理解できない。おそらく、多くのトロンボーン奏者は、ユニゾンを吹くよりもハーモニーにして内声部を吹く方が楽しいと思うのではなかろうか。アシつけてもバランスが崩れるだけだしなあ、とか思っている人もいるに違いない。 確かに、オケではホルンはカッコいい。だが、そのブロードリーな部分はホルンに譲ろう。 あの楽器があんなに朗々と吹いてもカッコいいのは、ベルが後ろに向いているからだ(きっと)。 多少外しても目立たないんだな、後ろ向いていると。後ろ向いてて、ぐぉぉぉと響いてから客席の方に音がやってくるから、その間にミスがかき消されて、ユニゾンの多少の音程の狂いもまとめ上げられて、結果カッコよく聞こえるのだ。トロンボーンで同じことやろうとしても、ベルはまっすぐ前向いてるから、ミスは直ぐ聞こえるし、吹きすぎると汚くなるし、ユニゾンの音程の狂いも狂ったまま聞こえて来るのである。 トロンボーンをブロードリーな感じにしようと思って太管にしても、所詮ホルンにはなれない。 また、トロンボーンと同じ音域でほとんど同じマウスピースを使う楽器に、ユーフォニウムがある。 ユーフォニウムのユーフォは「快い」という意味(ユートピアのユーと一緒か?)であることからも分かるように、とってもまろやかな音色の楽器である。 トロンボーンの太管化は、また、ユーフォニウムとの境界を曖昧にしていく気もする。 ユーフォニウムの音は妙に響くから、トロンボーンが細管をもって対抗しようとしても、薄っぺらくて対抗できないと感じるかも知れない。しかし、対抗する必要はあるまい。ユーフォニウムのまろやかな音は、耳にやさしく包み込むようなサウンド表現を可能とするが、反面、輪郭が甘くなる向きがある。 トロンボーンの特長のひとつに、エッヂの立った、輪郭のハッキリしたサウンドというものがあるのではなかろうか。さらに言えば、グリッサンドやポルタメントを簡易にするスライドという機構を合わせ持っていることにより、直線と曲線、剛と柔というような対比を表現できるところにあるのではなかろうか。 細管のメリットを挙げよう。 ● 息が続く。音がシャープ。 あまり変わらないのかも知れないし、マウスピースの違いの方が影響大とも思われるが、太管は息がすぐ終わる。訓練を積んで長いブレスを身につけた人ならいざ知らず、筆者のようなへなちょこにとっては、「フレーズをつなげていく」ためには、息が終わらない楽器の方がいい場合がある。 また、音質の問題には、異論も多かろうが、シャープな音というのも捨てがたい、と思う。 筆者はぜんぜん研究していないので知らないが、世の中では誰か研究しているだろうと思うことがあって、それはトロンボーンのピリオド楽器は何か、ということである。特に、1900年頃はどうだったのだろう? マーラーの思い描いていたトロンボーンの音って、今と一緒? という命題である。 こう書いておいて、実は筆者はオリジナル楽器とかピリオド奏法なるものにはあまり興味はなく、面白いとは思うが、絶対そうでなければならない、というこだわりはない。ピアノの曲をピストンクラブでやるときも、原曲を忠実に再現しようなどとは思わない。ピストンとしてのソノリティを出せばいいと思っているし、ましてや他バンドのコピーをする場合に、忠実にコピーをしようというのは洒落としてなら理解できるが、それが絶対至上であるとは思わない方である。同じ曲を取り上げる場合も、この前はカッチリやったから今度はラフ目に行こう、とか思ってしまう方である。 ということで、筆者としては、最近大勢を占めている太管派に待ったをかけたい気分が、一方である。 細管のトロンボーン4本でやるガブリエリの『ソナタ』とか、聴いてみたいぞ、と妄想を膨らますのであった。 包容力がある太く溶け合ったアンサンブルもいいけど、シャープで、輪郭のきっかりとした、エッヂの効いたのも面白いんじゃないかかなぁ、と思っているのだ。 何故、筆者がこんなにまで太管に対して抵抗を示すのか? ● それは細管しか持ってないから。 僻みなのだ、要は。 何故か、筆者が持っている楽器は細管(中細管)である。従って、持っているマウスピースもスモールボア用の物ばかりである。決して、上につらつら書き連ねたようなことを考えてそういう楽器構成になっているわけではなく、その場その場の事情で、そういう結果になってしまった。 2本あるテナーは細管である。バストランペットの太管は聞いたことがない。当然細管である。アルトももちろん細管である。おかげで、マウスピースは使い回せて便利である。ただし、シャイアーズとかエドワーズとかコルトワとか、つまりは最近流行のトロンボーンを試すときは、これらはことごとく太管なので、自分のマウスピースで試すことができない(アタッチメント買えよ!)。いつも他人からマウスピースも借りて試し吹きしているので、本当のところはよく分かっていないのだった。 実は1本だけ太管を持っていた。中3から高校の間吹いていた楽器である。CONNの88Hと「同じ」形をしたBLESSING社製品だった。後輩に何万円かで売りつけてしまったので、今手元にはない。 |
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