連載エッセイ「日々の徒然」

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◎特別編第2弾(2003/3/2)
『トランペット吹き《もどき》から見たトロンボーン吹き』
〜続・トロンボーン吹きから見たトランペット吹き〜

【第5章】 大らかな社交性 〜そんなに宴会が好きなのか?〜

野口 洋隆
 ●トロンボーン吹きは酒飲みである。

 このような命題がまことしやかに唱えられている。

 筆者の周りを見ても、トロンボーンを吹いている人達は、男女問わず、得てしてお酒が好きな人が多いのは間違いなかろう。
 トロンボーンだけではなく、金管奏者は一般に酒飲みであることも間違いない。
 オーケストラにはいってみると、このことがよく分かる。

 オーケストラが合宿して練習をする、というのはよくあることである。
 筆者も、何団体かの合宿に参加したことがある。そこで筆者が各団体に共通して見出すことのできた現象がある。

 ●トロンボーン部屋は「離れ」になる。

 ●合宿の宴会で、最後まで残って飲んだくれているのはトロンボーンである。

 後者の方から検討しよう。
 
 もちろんお酒好きの人はほかの楽器にもいるわけで、トロンボーンの人達だけが宴会部屋に最後まで陣取っているということはないが、得てして、トロンボーンの人は「全員」宴会部屋に残っていることが多い。
 午前様になっていい加減時間がたったこの時間帯に、ほかの楽器、例えばバイオリンの人などが残っていても2〜3人がいいところである。バイオリンは人数も多いから、いろいろなタイプの人がいるだろうが、トロンボーンと人数が同じくらいであろう木管楽器の人達は、この時間帯にはもういないことが往々にしてある。

 トロンボーンの人が全員残っているのには、理由がある。つまり、昼間の練習時間中は、ヒマなのである。出番が少ないため、多少夜更かしして昼間睡魔に襲われていても何とかなるのである。
 これに対して、弦楽器の人は練習中のほとんどの時間を演奏し続けなければならず、それに備えて体力の維持回復に努める必要がある。その意味からすれば、そんな遅くまでトロンボーンの人達と酒を酌み交わしているような弦の人は、バケモノと云えよう。
 弦楽器は、ほかの人も同じ音を弾いているから多少手が抜けるのかも知れないが、木管楽器はそうはいかない。自分が吹くの止めたら即、音がなくなるという事態が発生するため、常に入念な調整と体力キープが必要で、ダラダラと宴会を続ける気になるわけがないのだ。
 また、飲みが進むにつれ次第に下品になっていくトロンボーンを初めとする金管の連中に、ナイーブな感性の木管の人たちが愛想を尽かすというのもよくある図式だ。宴会部屋でへべれけになっているトロンボーンどもを後目に、木管の人たちが宴会のあと集まって、熱いコーヒーなんぞを飲みながら、静かに音楽について語り合っている、という図は想像に難くない。少なくとも、この構図で金管と木管が逆転することはあり得ない。

 ともかく、トロンボーンは昼間の練習でヒマで有り余っている体力とリビドーを消耗させるかのように、最後まで飲んだくれているというのはよくある。

 しかし、全員残っていることはないではないか?

 普通1つのオーケストラでトロンボーンの在籍者は3〜5人くらいであろう。仮にも複数の人数がいたら、1人くらいは「俺は早く寝るよ」という奴がいてもいいのではなかろうか?

 たぶん、トランペットの人なら、1人くらいは自分のペースをおいそれとは崩さないクールな奴がいる。

 ホルンは、オケにおけるメンタリティはほとんど木管だから、最後まで飲んだくれているのは1人くらいであろう。木管の連中と一緒にコーヒーをすすっている奴がいても不思議ではない(いや、筆者は別にホルンが嫌いな訳ではないのだが....ついつい旋律が多い楽器にはひねくれた感情を抱いてしまうのかも知れない)。

 しかし、トロンボーンは「全員」最後まで飲んでいたりするのである。仲がいいのだろうか?

 甚だ大胆なことを言い切ってしまえば、同じ団体のトロンボーンのなかで仲が悪いというのは、あまりない。

 一方、同じ団体のトランペット同士の仲が悪いというのは、あり得る。

 概して、弦でも木管でも金管でも、低音楽器においては同じ楽器のなかで仲が悪いというのはあまりないが、高音楽器、つまり、バイオリン、フルート、トランペットのなかでは仲が悪いというのがあるような気がする(ああ、また訳の分からないことを書いてしまった....)

 つまり、高音楽器には強力な個性が求められ、時としてそれが同族内の対立を招くこともあるが、低音楽器はいくら一人一人が突っ張ってみても、周りからはその違いがよく分からないので、「まあまあマターリと」という世界になると思われる。

 筆者は、最近トロンボーンの飲み会に出ていないのであるが、トランペットの飲み会と比べても、トロンボーンの飲み方が微妙に違う部分がある。もちろん、トランペットもかなり酒飲み度が高く、宴会で盛り上がること人一倍なのであるが、それでも、トロンボーンの飲み会はまたひと味違う。
 微妙な違いなのだが、例えば、宴会部屋で宴会をしていて、最初に畳の上にツマミの袋を拡げて、車座になってしまうのはトロンボーンだということだ。また、最近は少なくなったが、飲みが進むにつれて下品度が増し、謎のショータイムになったり、訳の分からない刺身の回し食いをしたりするのは、トロンボーンである。一方トランペットは、このように地べたに張りついたような真似はしない。もう少しスマートな飲み方をする。
 
 また、トランペットは飲み会の席上でおもむろに楽器を取り出して、吹き出すことが多い。トロンボーンも取り出すことがあるが、楽器を組み立てるという一作業があるため、どうしてもトランペットに一歩遅れを取る。
 この時点で既にトランペットの人は『笑点』なぞを吹いて満場のウケを取っており、『必殺仕事人は〜』と言われて「♪チャララー〜」などと吹いて、バイオリンの可愛い女の子に「カッコイイー」と言われたりしているのである。
 せっかく楽器を取り出したトロンボーン奏者は、この時点でもうはいりこむ余地がなく、仕方ないのでグリッサンドの一発でもかまして、スゴスゴと楽器をしまうことになる。
 
 このようなことがあるから、トロンボーンの人は飲み会の席上では、あまり楽器を取り出すことはしない。

 トロンボーンの人が楽器を取り出すのは、飲み会の会場を出てからである。
 
 酔客が行き交う繁華街の往来で、でっかいケースから楽器を取り出して組み立て、何故かモツレクを吹き出してしまったりするのである。
 3人が楽器を取り出したりすると、ブラ1のコラールを演ったりなんかする。
 そのうち、酔った勢いでボレロが飛び出す。筆者にとっては酔った勢いでないと吹けない曲なのだが、本当に上手いトロンボーン奏者は、酔って吹いたボレロも上手であることを、先日確認できた。

 このように宴会の席上で楽器を取り出すのは、決まってトランペットかトロンボーンである。

 精密機械の木管楽器、水気を嫌う高価な弦楽器が宴会の席上で楽器を取り出すわけはない。 

 ホルンの人が取り出す、というのはあまり見たことがない。筆者が、ホルンは木管ライクと言う所以である。
(※宴会で楽器を取り出すホルン奏者も、いることはいる。ただ、イギリス製の楽器を使っていたりとか、ホルン的にはちょっと主流ではないという傾向が窺われる。)

 次に、最初に述べた「トロンボーン部屋は離れになる」という命題について検討しよう。

 合宿する施設の形状によってバリエーションがあるが、その施設に「離れ」あった場合、トロンボーン、加えて金管楽器の連中は、間違いなくその部屋を割り当てられる。
 
 母屋があるとしたら、トロンボーン・金管の部屋は靴を履かないと母屋からは行けず、従って合宿中はその宿のサンダルを常用することになる。
 屋外で楽器を奏する、という文化も金管楽器特有のものであるから、金管の人たちは宿のサンダルを多用する。

 このため、合宿が終わり帰宅の途についた金管奏者が、駅で宿のサンダルを履いてきてしまったことに気づいて慌てて靴を履きに戻る、という小事件が発生することがある。

 トロンボーンや、金管が離れに隔離される理由はなんであろう?

 ひとつには、歴史的経緯があるのだと思われる。

 今でこそ中高の吹奏楽部は、金管楽器も女性部員の方が多いらしいが、筆者の頃は、金管楽器は男性の方が多かった。大学でオケにはいった頃も、女性のトロンボーン奏者というのは数が少なかった。
 一方、バイオリンを初めとする弦楽器や、フルートなどの木管楽器では、女性奏者が多かった。
 すると、必然的に「野郎ばかりの」「凶暴な」金管楽器は、離れに隔離ということになる。

 また、前述したように、トロンボーン奏者・金管奏者は、宴会をしても最後まで飲んだくれていることが多い。そんな奴らにはつき合ってられない。喧しいし、あっちの離れに行ってもらおう、という理由でも隔離されるのだろう。

 昼間の練習に関して考えてみても、パート別の分奏を部屋で行うと言う場合、音がでかくて喧しい金管楽器は離れに隔離した方が合理的、という理由もある。

 それにしても、どうしてトロンボーンは酒飲みというのは、音楽界共通の認識なのであろう。

 筆者が音楽界共通と言う根拠であるが、ひとつには過去の飲み会の経験が言わせるものがある。そのほかにも、有名なN響オーボエ茂木さんの著書で、トロンボーンは酒飲みということになっている。
 なにより、作曲家も酔っぱらいを模するのにトロンボーンを用いている例が挙げられる。
 例えば、レスピーギの『ローマの祭』の終曲「主顕祭」の酔っぱらいを描写するトロンボーンのソロ。例えば、コープランドの『エル・サロン・メヒコ』のトロンボーンソロ(おっと、この曲は全編酒場の描写だった)。

 逆から考えてみると、例えば、酔っぱらったオーボエ奏者が楽器を吹いたらこめかみ辺りの血管から吹き出しそうだし、ビオラだけが弦のなかで酒飲みだというのもバランスが取れないし、イメージの問題なのだと思う。
 
 ●トロンボーンなら酔っぱらってても吹けそう。

 前述したように、宴会終了後も現に吹いたりしている。
 
 さらに、楽器の持つサウンドに着目して言ってしまえば、

 ●トロンボーンの音って、何か酔っぱらいみたい。

 スライドの動きやグリッサンド奏法が、酒酔いを連想させるのは、想像に難くない。

 そう。スライド・ビブラ〜トなんぞかけた日にゃ、聞いている方が酔っぱらった気分になる。
 「トロンボーン=酒飲み」というのは、ある程度楽器の性質から来ているイメージと思われる。

 なお、実際のトロンボーン奏者に酒飲みが多い、という現象についての考察は、今後の課題とさせていただく。


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