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【第8章】 “間違った”音楽教育 〜ドはどこ?〜野口 洋隆
まずは、筆者の体験談から書いてみよう。 小学校5年の頃であったろうか、筆者の通っていた小学校には鼓笛隊というものがあり、クラスからメンバーが選抜されるのであった。というか、最終的に鼓笛隊には全クラスが参加するのだが、トランペット類や太鼓類、女子のバトン隊などはあらかじめ選抜され、別途放課後などに練習をするのであった("その他大勢"の人間はリコーダーもしくはメロディオン----ピアニカとも言うことは、筆者は大学まで知らなかった----の担当となった)。 筆者はトロンボーンを希望した。この、鼓笛隊の金管楽器をやりたい、と思った動機についてはよく覚えていないのだが、断片的な記憶として、「自分はピアノも習ったことがないし、指で音を変える楽器は難しそうだな。その点トロンボーンなら、手を前後に動かすだけみたいだから、間違えても判らないのではないか」と思ってトロンボーンを希望したことは覚えている。 へへへ、このように筆者のトロンボーン選択の理由は、甚だ消極的なものであったと言えよう。 希望者は、ある日の放課後、音楽室に集められた。そこでバズィングやら腹式呼吸やらの説明を受けた。そう言えば、その2〜3日前から、クラスのなかで「ラッパの音の出し方知ってるか? 口でブーって音を出すんだぜ」という情報が飛び交い、筆者はどうやって口でブーって出すんだよ、と思って、口を綴じたまま秘かに声をウーと出すのかしらん、と思ったものであった。 トロンボーンの倍率は1.5倍だったと思う(定員2人に対して希望者3人)。で、何故か1日楽器を持ち帰って吹いてみるというのがあって、筆者はトロンボーンをうちに持ち帰った。土曜のことである。 筆者は楽器を組み立て、マウスピースをはめて、おもむろに吹いてみた。 今でも覚えている。筆者が最初に出た音。それは、 ●ペダルB♭。 この頃、ポジションを教えてもらったのだろうか? この辺の記憶は薄れているのだが、それでも音楽の先生は結構理論的に教えてくれる人で、トロンボーンはポジションが1つ下がるごとに半音ずつ下がる、ピストンの楽器は、1番が全音、2番が半音、3番が1.5音下がる----従って、この組合せで最大半音6つ分下げることができる、ということを筆者は教わった。 だから、この時点で筆者はトロンボーンのポジションと、ピストン楽器のバルブの対応関係は理解していたと思う。 そして、金管楽器はすべて、ド−ソ−ド−ミ−ソの倍音が出る----これと先ほどのポジションまたはピストンによる音の下がり方を組み合わせれば、どの音も出るのだ、こうも教わった。なるほど、ソから半音6つ分下げるとド#まで出るし、その下は下の倍音がカバーできるのか、と筆者は何とか理解した。 しかし、この教えが、筆者にすんなり理解できたわけではない。 「はい、最初の下の音を出してー。それがドだよ。同じ指(手)遣いで1個上がってみよう。はい、ソが出るねー。じゃあ、次は2番を押して(2pos.まで伸ばして)シを出してみよう。はい、シだねー」 筆者にとって何が理解を阻んだのか。読者諸賢の予想される事項は、まだしばらく出てこない(中学まで待たれよ)。 筆者が先生に発した質問は、次の通りであった。 「先生、ドの次はドが出ると思うんですけど....」 「いや、ドの次はソだろう。出るはずだ。やってみなさい」 「....はい。♪ペダルB♭−B♭」 「ん、そんな音が出るのか。それは....違うんだ」 筆者が最初に出た音はペダルB♭、今考えると、それは想定外の音であったようだ。しかし当時はそんなこと分からない。 ペダルB♭を出したせいか、筆者はトロンボーンに向いていないと判断されたのだろう。結局、筆者はトロンボーンを落選し、別の楽器に回されることになった。その楽器とは? ●アルトホルン ペダル音を出したから、テューバと同じような形をした楽器に回されたのだろうか。筆者には、当時見たことのない楽器であった。 現在でも、ブリティッシュ・スタイルのブラスバンドでこそ使われるものの、通常の吹奏楽やオーケストラでは使われない楽器だ。小学校バンドでは、何故か愛用されていて、上手な子が見受けられるが。 (※ご存知の方はご存知だろうが、ピストンクラブではこの楽器を常用している。現在の筆者にはマウスピースが小さすぎて吹けないのだが、ピストンクラブでは、C氏が吹いている。最近上達著しい。) ともかく、この楽器は、ピストンが3本ついている指の楽器であった。 しかし、先生の理論的な教育のおかげで、どのバルブを押せばどう音が音が変わるか、もう筆者は理解していたので、畏れは小さかった。 この時代やった曲は、何曲かあるのかも知れないが、覚えているのは『宇宙戦艦ヤマト』だけである。 合奏のとき、「はい、みんなでミを出してー。おい、ミだってば、仕方ないなー。まあ、いいや。はい、次!」とかいうようなことがあったと思われるが、大勢に影響はなかったと云えよう。筆者は、心を込めて「♪ポッポポー、ポポポポッポポー」と吹いていた。 こうして、筆者は小学校を卒業した。 中学にはいった筆者は、部活動として吹奏楽を選択した。これまた運動系は嫌だったという消極的理由による。 入部した当初は、初めて間近に見るドラムセットに惹かれもしたが、今度ことはということで、トロンボーンを希望した。今度は、無競争で当選。というか、同学年に筆者以外にトロンボーンはいなかった。 今から思えば、もう少し指導のしようもあろうに、という気がしないでもないが、筆者はここで遂に、あの問題にぶち当たったのである。 ●ドはどこ? 中学と云えば、先輩後輩の別は絶対である。 「先輩〜。ドはどこですか〜?」 「うむ、ドはなあ、ここだ」 先輩が指を差したのは、五線の下から2番目の線である。 あれ? へ音記号の楽譜のドはその上の間のトコじゃなかったっけ? 筆者はそう思いもしたが、そう思って読んで音を出すと、合奏のときぜんぜん合わないのである。 「ははは、1個ずれてるぞ。ここがドだ」 そんな感じで筆者の中学での吹奏楽部生活はスタートした。 とにかくトロンボーンのドは下第2線。そう思ってやっていても、次に引っかかってくることがある。 そう、臨時記号である。 いくら形が似ていても、ナチュラルとシャープは別物だよなあ。なんでファのナチュラルのところは音が合わないんだろう? ともかく、経験的に筆者が編み出した読譜法は、以下の通りである。 ●ドとファのナチュラルは、シャープに読み換える。 これに気づいたとき、筆者の出す音はようやく合奏に合うようになった。 ところで、小学校のとき筆者からトロンボーンの座を奪った一人のY君は、別の中学校でやはり吹奏楽部にはいり、トロンボーンを吹いていた。 中学にはいってから、Y君と会って話しているうちに、ドはどこのポジションで取るか、という話になったことがある。 筆者は、当然1pos.だと思っていた。ところが、Y君は言うのだ。 「ドは6pos.だよ。中学ではそうなんだよ」 6→4→2→1→4→2→4→3がドレミファソラシドだというのだ。ううむ、このドレミファソラシドはオレにはできないなぁ....。筆者は以後も1pos.から始まるドレミを使うのであった。 後日談になるが、Y君と筆者は同じ高校に入学し、吹奏楽部でトロンボーンを共にする。目立ちたがり屋の筆者はトップに固執し、奥ゆかしいY君はバストロンボーンになった。翌年、新たにはいってきた後輩の名手2人を間に挟んでトロンボーン四重奏を組み、アンサンブル・コンテストに臨んで東海大会まで行ったことは、前稿でも触れた。 Y君の名誉のため申し上げておくが、Y君は、幼少の頃よりピアノを習っており、筆者よりは断然音楽の素養がある。「中学ではそうなんだよ」とか言わずに、ちゃんと説明してくれればよかったのに、と今になって思う筆者であった。 (でも、推測だが、Y君にとっては、ピアノのドとトロンボーンのドが一致する方がやりやすかったとも思われる。いずれにしろ、高校のときは一緒に吹いていながら、あまりこれに関する話をした記憶はない。) 筆者が小学校のときに、曲がりなりにもアルトホルンが吹けたのは何故か? それは、inE♭で記譜したあったからと思われる。 だから、みんなでミを出すと、自分だけラ(inB♭で)を出してしまい、先生からしょうがないなぁと思われていたのであろう(筆者も何で違うんだろう、とは思っていた)。 トランペット、そしてトロンボーンの記譜も、inB♭にしてあったものを使ったと推測される。 しかし、トランペットやホルン、またはサックス、クラリネットなどの吹奏楽の楽器と違って、トロンボーンはB♭管にかかわらず、inCで記譜する。だから、楽譜なしで一緒に練習するときはいいのであるが、楽譜があると、すぐには読めず、結果、上のようにスペシャルで不条理とも云える方法を捻り出す必要があるのであった。 結論から述べると、筆者は今でも前述の、「ドとファのナチュラルはシャープ」という読み方を行っている(B♭管でinCを読むとき)。 これは、やっぱり、ロスが大きい読み方であると思われる。トロンボーン界では、これに関する議論も喧しく、最近では、inCのCをド(すなわち6pos.)と読むように教えた方が良いのではないか、となっているようだ。 筆者は、取りあえずの読譜法を習得した後、改めて、トロンボーンはB♭管であること、記譜には「in 何々」という記譜法があるが通常トロンボーンはCで書かれること、それに対しトランペットやホルン、サックスなどはその楽器の調で記譜されること、などを知った。 この過程でお世話になったのは、"山トロ"さんの著したトロンボーンの教則本である。ハ音記号についても、この本で知った。別に、そのようなことが理論的に書かれていた訳ではなかったのだが、「先輩の教え」などというものではなく、トロンボーンの各部の名称から、持ち方、吹き方、練習曲まで体系立てて書いてあったからであろう。 もちろん、その教則本にもドとかレとかは書かれていなかったはずだ。が、この時点で筆者はトロンボーンを持つと、ドレミが1→6→4ということで染みついてしまっていたため、楽譜を読むときにドの位置をその事情に合わせるようになってしまった。 ここで筆者の読譜法を整理して言うと、B♭管を吹くときはB♭をドと思う、E♭管を吹くときはE♭がドになる、ピアノ、ギター、ソプラノリコーダーなどではCがドになる、といったものである。 ●絶対音感のなさも、この読み方に寄与している。 この読み方のメリットは、何管を吹くときも、ドレミファソラシドに対応する手や指の運びは同じになる、という点である。 だから、アルトリコーダーはinFで書いてもらうのが一番よく読める。 ギターをC読みするのはこの原則に反する気もするが、所詮コードを押さえるくらいしかできないので関係ないと言えよう。 それにしても、自主運営に任されていたのか、筆者にこのような理解の回り道をさせてくれる中学の吹奏楽部であった。 筆者の中学時代というのは、ちょうどTVドラマの『金八先生』の最初の世代とシンクロしており、校内暴力が猛威を振るった時代であった。 たしかに、その徴候は、田舎の学校であった筆者の学校にも及び、同窓のヤツらで組んだらしい「中三連合」なるものが地元の新聞を賑やかしもしていた。 一方で、筆者の同学年の女子バレー部は、その年、全国優勝を成し遂げている(その年メンバーだった1つ下の学年の一人は、後、全日本にはいっている)。意外と波乱に飛んだ中学だったように見えるが、その渦中にいた筆者自身は、振り返るに平凡に青春時代を送っていた。不良のヤツもいたが、そんなに違和感を感じなかった。高速道路も、新幹線もまだなく、"都会"の長野市内へは電車で30分、遙か"大都会"の東京は、長野駅から3時間の先にあった。 今なら、親になってしまって、自分のこどもの学校のことは、とっても心配してしまうかも知れない(まだ、先の話だが)。 それにしても、何故に、固定ド、移動ドに限らず、ドレミファソラシドと言うのだろう? これは、イタリア語でしょ。特に、階名で読むときは、ドレミを使う。 これに対し、実音を表すときは、ドイツ音名を使う習慣がある。英語の人もいる。(この流派の違いは、留学先の違いと思われるが。) 学校教育では、おそらくドイツ音名を日本語に置き換えたであろうハニホヘトイロハを教えられる。 はっきり言って、曲名でしか使わないのではなかろうか。ト短調のシンフォニーと言うように。 筆者の脳内変換を意識してみると、ト音と言われたら、「トはG、だからソ、B♭管だとラ」と考えている。 オケの合奏時に、「そこのDes出して」と言われたなら、「ミ♭ー」と思って出している。 ギターを弾いていて、「G→Em→Am→D7」というコード進行があったとしたら、「ソー→ミー→ラー→レー」と思って弾く。 ●ソルフェージュはドレミでしか行えない、ということなのである。 これは、みんなそうなのであろうか? ドイツ人も、アメリカ人も、ドレミなのであろうか? 多分、こんな研究はずーと昔から誰かやっていると思うので、調べれば分かると思われるが、仮にみんなドレミだと思っているとすると、何と良くできた言葉であろう。ドレミファソラシド。 『カエルの歌』を、「ハニホヘ|ホニハー|ホヘトイ|トヘホー|〜」と思って歌っている日本人がいるとは、筆者にはどうしても思えないのである。 で、この音階をドレミで感じる、というのは音楽教育の成果であると思うのだ。 ドレミで感じることによって、ときに、この人はこう感じているのだな、ということが漏れ分かって興味深いときがある。 筆者のトロンボーンの師匠は、Cがドの人である。「そこのラ」と言われたときは、筆者は「シ」と変換して考える。 ピストンクラブのSz氏は、口三味線でタタタと歌っていても、微妙に「トテティ」というように聞こえてきて、ああ、ドレミと思っているんだなぁ、と外から窺うことができるのであった。 話は戻るが、前述したように筆者はB♭管を吹くときはB♭がドになるので、C-durのスケールは、レミファ#ソラシド#レと思って吹いている。 そうすると、もしかして音階をドレミで考えるというのは、不必要なことなのではあるまいか。 もう、幼少のみぎりから浸みつけられてしまったため、今さら変えることはできないのであるが、ABCだけで考える、というのでいいのかも知れない。 まあ、絶対音感があるのであれば、それで行けるような気がするが、筆者にはない感覚のなので、ドレミを介して感じる以外ないのであるが。 それにしても、ドとファのナチュラルはシャープに読み替える、というのは不自然な対応である。 これは「ドとファにはデフォルトでフラットがついている」のと同義である。 最初から、よりによってドにフラットがついているんだからなあ、美しくない考え方であるよな、と思うわけであった。 多分、このような苦労(と言えるのかどうかは分からないが)をしている人は少なからずいる、と思われる。ウェブ上でも、探せば出てくるだろうとも思う。 筆者は、ユーフォニウム奏者のページで、同じ話を読んで、共感したことがある。 |
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